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全面教育学研究会
コラム

2018.6.12
「柳田社会科」はなかった
(徳永 忠雄)


「…柳田社会科というのは、ないんです。本当は。柳田民俗学というのはあるけれども。柳田社会科というものが、みんなあると思っているけれども、それは間違いだ。柳田民俗学というものは、ある。その民俗学を、学校の社会科で教える、これが、柳田社会科でしょ。だけれども、そんなものはないんです。みんな、分からないから、あると思っているだけで、そんなものはない。」(成城学園初等学校 柴田勝校長談)

 これは5月26日、成城大学民俗学研究所主催で小国喜弘氏(東京大学)が「柳田国男の教育論とその継承―成城学園初等学校の教師たちは何を学んだのか―」というタイトルの講演会の中で語った言葉です。小国氏は話の中で、かつて成城学園の柴田勝校長が「柳田社会科」の成立の背景を明らかにし会場におられた成城の先生方も身を乗り出して聞かれていました。
 正直に吐露すれば、私自身「柳田社会科」の教科書を現場で使うことに違和感を感じていました。その違和感が何であったのか講演を聴き納得した次第です。小国氏は今から20年以上前に成城学園初等学校の次の教師に聞き取りを行いました。
白井禄郎、池田昭、庄司和晃、北島春信、及川徳弥、柴田勝
聞いていた私は、特に柴田勝、池田昭、そして庄司和晃の三氏の発言に注目しました。

 柳田国男の社会科教育のイメージは、「社会科の新構想」(成城教育研究所1947)という座談会の記録に残されています。成城学園の初等学校が、戦後新しくはじまろうとしていた「社会科」を柳田民俗学を参考につくろうとした画期的試みでした。ところがこの座談は、よく読むと成城の先生と柳田のズレというものが読み取れます。柳田の思いとは別に成城の先生たちは柳田民俗学をベースに社会科を構想し研究書(授業書)、教科書をつくろうとしました。その結果、研究書や教科書に振り回されることになったのです。
 そもそも柳田国男の教育観は、子どもの素朴な疑問に耳を傾けてそこから問題解決学習に展開していくというもので、学校の集団教科学習とは一線を画すものでした。教科書ができてしまってはそれに沿って授業を進めなければなりません。本来、成城学園の教育は沢柳政太郎の提唱した自学にあり、それは大正自由教育の実践の場でした。むしろ、沢柳政太郎が生きていたら庶民目線の「柳田民俗学」を子どもの声をすくい取ろうとする「柳田社会科」にうまく展開できたかも知れません。
 柴田校長が当時を振り返って言うように、成城の先生方は自ら柳田民俗学とは何かを問おうとせずに柳田の言うことをそのまま教科書にしようとしたというのです。池田昭氏が、表層的な民俗学しか扱えなかったというのも無理もありません。そこには「信仰」も「市場」も「まつり」も登場しないからです。さらに教科書に描かれた農村の風景は、成城の子供達の生活とかみ合いません。教科書は10万部を超えていたものが最終的には2万部になり柳田国男が亡くなってすぐ廃刊になったのです。

 講演の後半に核心を突く発言が紹介されます。
「先生たちは柳田社会科一本やりで、池田先生とか、北島先生とか、まだ批判する能力がなかったから、ただ具体化できるようにやっていたということ。今になると、民俗学とは何かとか、柳田とは、民俗学がどういう位置を占めているか…などを吟味しないと、若い人たちは動けないのではないか。だけれども、僕らはそういうのがなくても動ける。だから大東亜戦争がやれたんだ。他の国とは別だ。現場の人たちは、旧師範学校は、というと、内容の選択権を与えられていないからだ」(庄司和晃談)

 この庄司先生の発言は重い。日本の教育が、あるいは日本人の生き方そのものが物事の本質を見ないで流れに振り回されていることを、後年庄司先生が指摘しているからです。大東亜戦争もその延長線上にあったのだと。
 子どもとの関わりを、柳田国男は子どもが問うことを前提に考えていました。ところが教えるべき先生たちが柳田に問えていなかった。沢柳政太郎の方針にも、姉妹校的な小林宗作のトモエ学園にも問題解決学習の発想は通奏低音のように存在しているにもかかわらず。斯くして柳田社会科は本質をつかめないまま消えてしまったのです。
私は、講演を聴きながら「湯と共に赤子を流すな」という庄司先生の口癖を思い出しました。一番大切なもの、ものごとの核心を掴まなくてはいけないんだと。全面教育学には教科書はありません。それは、展開する一人一人がフリーハンドで行うものだからです。ゆえに、ものごとの核心は自分で掴まなくてはなりません。そういう意味も込めて庄司先生は新たな学問をつくったのでしょう。その全面教育学は、柳田社会科がなしえなかったものを継承しているのではないかとふと講演のあと思った次第です。  (投稿 2018.6.8)

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