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コラム総目次

公開年  コラムタイトル
2022  向井吉人・ことばっちの冒険2021(4)紹介(徳永) 
2021 
向井吉人・ことばっちの冒険2021(3)紹介(徳永)

・看護の現場から(徳永忠雄)

向井吉人・ことばっちの冒険2021(1)

・たましい通りと特攻(徳永忠雄)

・篠原賢朗著『「人の一生」教育論』を読んで(尾崎光弘)
 
2020(3本)



コトワザとの出会い(徳永忠雄)

「人の一生」の授業(徳永忠雄

・「ことば遊び」をもっと、もっと(徳永忠雄

 
2019(7本) 
・すれ違った人(徳永忠雄)

・ことばっちの冒険2019(3)(向井吉人)

ことばっちの冒険2019(2)(向井吉人)

ことばっちの冒険2019(1)(向井吉人)

ことば遊びコレクション2018(向井吉人)

ことばっちの冒険2018(6)(向井吉人) 

 2018(12本)
ことばっちの冒険2018(5)(向井吉人)

ことばっちの冒険2018(4)(向井吉人)

庄司先生/香句集(小田富英)

成城学園物語(徳永忠雄)

ことばっちの冒険2018(3)(向井吉人)

「柳田社会科」はなかった(徳永忠雄)

ことばっちの冒険2018(2)(向井吉人)

ことばっちの冒険2018(1)(向井吉人)

ことば遊びコレクション2017(向井吉人)

授業「住環境と用具」を振返って(滝北利彦)

ことばっちの冒険2017(6)(向井吉人)

正月はなぜめでたいのでしょう(徳永忠雄)
 
2017(14本) 
・トリの創作コトワザ(小田富英)

・ことばっちの冒険2016(6)(向井吉人)

・ことば遊びコレクション2016(向井吉人)

・世相史学への試み(徳永忠雄)

ことばっちの冒険2017(1)(向井吉人)

ことばっちの冒険2017(2)(向井吉人)

・コトワザ教育事始め(篠原賢朗)

・悪意のレトリック(徳永忠雄)

・庄司アリンコ認識論の実践(篠原賢朗)

・萩原俊明氏からの第一信(荻原敏明)

・萩原俊明氏からの第ニ信(荻原敏明

・ことばっちの冒険2017(3)(向井吉人)

・ことばっちの冒険2017(4)(向井吉人)

・ことばっちの冒険2017(5)(向井吉人)
 
 2016(19本)

・ことばっちの冒険2015(5)(向井吉人)

ことばっちの冒険2015(6)(向井吉人)

・ことばっちの冒険2015(7)(向井吉人)

・残念な博物館(徳永忠雄)

・柳田民俗学研究時代(庄司和晃)

・残念無念(山田 学)

・ことばっちの冒険2016(1)(向井吉人)

・ことば遊びコレクション2015(向井吉人)

・庄司「私の研究歴」を編集して(尾ア光弘)

 
 2015(26本)
・庄司和晃先生 逝く(徳永忠雄)

・先生と逢えれば(尾崎光弘)

・先生追悼授業1べっこうあめつくり(篠原賢朗)

・追悼記(向井吉人)

・全面研と庄司認識論について思うこと(長谷川 孝)

・「自前の介護論」その第一歩(滝北利彦)

・ネットワーク全面研(道岡義経)

・「中途半端」を生かしたい(伊東 峻)

・ある同じ大切な方向(山田 学)


・ことばっちの冒険2015(1)(向井吉人)

・教員に勇気を(小田富英)

・庄司先生とわたし(花田伯子)

・ことばっちの冒険2015(2)(向井吉人)

・庄司認識論と柳田の歴史観(徳永忠雄)

・印象教育の場所(尾崎光弘)

・日本語意見(山田 学)

・漢字の手書き文字には、許容範囲がある(向井吉人)

・見切り発車で始まった小学校英語教育。現在はこんなふうに・・・(辻 研三)

・ひとりを(花田伯子)

・小学校英語活動の現状と課題(伊東 峻)

英語活動で「コミュニケーション能力の素地」は作れない(尾崎光弘)

・闘う認識論(徳永忠雄)

・人は死んだら生きかえりますか(上)(篠原賢朗)

・人は死んだら生きかえりますか(下)(篠原賢朗)

ことばっちの冒険2015(3)(向井吉人)

ことばっちの冒険2015(4)(向井吉人)

 
 2014(27本)
コントン本質論 (長谷川孝)

論理的認識に縛られている精神 (長谷川孝)


あんこのない「あんパン」 (道岡義経)

子育て習俗にみる子育て観A (篠原賢朗)

33回全国地名研究者大会に参加して (小田富英)


論理化・体系化と、「混沌」の中の気づきと (長谷川孝)

子育て習俗にみる子育て観@ (篠原賢朗)

身体が感じ考え判断し記憶する<認識>はある? (長谷川孝)

課題創作三段謎 (篠原賢朗)

・反知性と知性ばっかりと、もう一つの≪知性≫ (長谷川孝)

小学生に弁証法教育を7 (篠原賢朗)

振りさけみれば腕がなる (向井吉人)

・〈地獄〉のききめ (植垣一彦)

・鏡の中に飛び込んでこそわかる物語の世界 (長谷川孝)

怪物を養わねばならぬ (石毛拓郎)

小学生に弁証法教育を6 (篠原賢朗)


交感する<魂> (植垣一彦)

平地人の戦慄 (徳永忠雄)

りんごは、内部から腐る!いわんや・・・(石毛拓郎)

小学生に弁証法教育を 5 (篠原賢朗)

<不安>のディテール (植垣一彦)

小学生に弁証法教育を 4 (篠原賢朗)

過剰な教育意識が学校の現在をつくり出している (向井吉人)

イロイロな三段階をツラツラ考えてヨロヨロ (長谷川孝)

魂の造形 (植垣一彦)

小学生に弁証法教育を 3 (篠原賢朗)

学校教育は市場化する教育と拮抗しようとしている (向井吉人) 

 2013年(36本)
ことばっちの冒険・また (向井吉人)


柳田にとっての「川」 (小田富英)


自分の中にある歴史 (徳永忠雄)

ぼくの原型(終) (道岡義経)


「自学学習法」とは何 (武田恭宗)

世の中のふしぎ(1) (篠原賢朗)

魂通り論 (庄司和晃)

自治的な学びに応える (長谷川孝)

庄司先生の授業から学ぶ (植垣一彦)

魂通りの授業づくり (庄司和晃)

学校五日〜教室の関係性 (向井吉人)

風景としての川 (小田富英)

社会主義という考え方 (徳永忠雄)

ロックは子供に教えられるか(上) (道岡義経)

低学年の自学学習法 (武田恭宗)

世の中のふしぎ(2) (篠原賢朗)

海軍の月 (庄司和晃)

メンデルと朝顔 (徳永忠雄)

山びこ学校も遠くなりにけり (庄司和晃)

弁証法的道徳教育の実際 (篠原賢朗)

「悟り」は<頭脳活動としての認識>か? (長谷川孝)

だってこわいんだもん (植垣一彦)

不得手に帆をあげ、学校でのPC活用を論ず (向井吉人)

弁証法的道徳教育の実際2 (篠原賢朗)

テツガクを抱える (植垣一彦)

お天道様と米びつはついて回るか (徳永忠雄)

マンダラの認識はイメージ化か (長谷川孝)

システム化する教室は学校・自己管理の模倣ではないか (向井吉人)

小学生に弁証法教育を1 (篠原賢朗)

絵馬の救済 (植垣一彦)

気が気になって気が気でない気持ち (長谷川孝)

スケジュール化する学校と授業に公教育の底力をみた (向井吉人)

小学生に弁証法教育を2 (篠原賢朗)

呪文という養分 (植垣一彦)

死よ、スタンドバイミー (徳永忠雄)

頭の中の認識だけだと身体がくやしがる!?(長谷川孝)

2012年(20本)
標識論 (植垣一彦)

学校教育の現実と批判 (長谷川孝)

私にとって柳田国男とは何か (庄司和晃)

創作「唱えごと」の実践 (篠原賢朗)

自然と親しむ教育 (武田恭宗)

ぼくの原型(2) (道岡義経)

自由と選挙 (徳永忠雄)

「思い言葉」の復権 (小田富英)

ことばっちの冒険 (向井吉人)

比喩論 (植垣一彦)

アリンコとは何か (庄司和晃)

教育への疑い (長谷川孝)

私の人生とは何か (庄司和晃)

弁証法的道徳教育論の提案 (篠原賢朗)

新教育と真の教育 (武田恭宗)

ぼくの原型 (道岡義経)

ルソーとは誰か (徳永忠雄)

「言葉あわせの術」の達人 (小田富英)

網には小さい穴がある (向井吉人)

気づきの<網>を張る (植垣一彦)

コラム

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