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(2018年まではこちら


 向井吉人・ことばっちの冒険・2021(4 )紹介 (徳永)   
 2022.1
ことばっちの冒険21(4)
徳永忠雄
 
前回の(3)に引き続き「ことばっちの冒険(4)」を紹介します。

1.沓冠(くつかぶり)
 ある日の「ことばあそび」の会、指南役で参加した向井さんの前で次々と作品が登場します。
「忖度で市民損」(そんたくでしみんそん)
 「天丼も出す喫茶店」(てんどんもだすきっさてん
  「面妖なお面」(めんようなおめん)
 さて、これはどんな「ことば遊び」なんでしょう。
 これは「沓冠」(くつかぶり)という手法を真似たものとして知られており、『古今和歌集』に登場していることでしられています。「沓」と「冠」ですから、コトバの最初と最後にことばが仕掛けられているのがおもしろいところ。似たような和歌ばかり詠っていた当時、飽き足らぬ人たちがこのような仕掛けで読み手をニヤッと笑わせようとしたのでしょう。
 でも「忖度で市民損」と来れば、そこには批判精神も折り込まれています。単に笑うだけではなく、ユーモアと共に批評もあるのです.
さらにエスカレートすると、
「神社の帰り、眞露を飲んで 辛ラーメン」
「人事権握って 人事異動 人権無視でアウト」
「三度目の結婚 参列者に見守られ 三三九度」
このようにユーモアを込めれば面白さは倍加します。「だんだん老いる団塊の世代」(向井)とありますが、この会のみなさん「だんだん燃える 団塊の仲間」かもしれません。
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2.コトワザ探し
「細かいのと効率は違う。不破検事、確かに重箱の隅つつくような調べ方するけど、要らんようになったら重箱なんかさっさと捨てるよ。どこにどれだけ注力したら最大の効果が得られるか、ちゃんと測っている。」(『能面刑事』)

 向井さんは、上記のように中山七里さんのミステリーの中のコトワザを引きながら、コトワザを多用するこの小説に注目してきました。「重箱の隅…」から「重箱なんか…」の発展、さらには、引用以外にも「検事の播いた種だぞ…」から「それなら地雷を処理したよう」という比喩に転じていくコトワザの引用の小気味よさを捉えようとします。コトワザを単体として捉えるのではなく、ストーリーの中で比喩をスライドさていく、もっというと庄司認識論の「よこばい」の妙を読み取っていくわけです。
 コトワザは、言い古された警句でもあり、クリエイティブな小説において安易に使用することは作品そのものの質を損ねる恐れがあるかもしれません。敢えて使用するならば登場人物のコトバの中に入れていこうという手法を取ったわけです。
「不破刑事かて、ある意味獅子奮迅の虫よ。ただ虫は虫でもめちゃくちゃ有能で体内の雑菌食い尽くすようなタマやもん。上層部にしたら回虫みたいなもんやから飼っておいても十分メリットはある。」(『能面刑事 奮迅』)
以下、コトワザの紹介は略しますが、庄司先生もコトワザを集めることについては人後に落ちない人でした。現在、遺品を整理中ですが、新聞の切り抜きだけ段ボール数箱に及びます。その切り抜きの多くは、コトワザ・警句・名言などの認識の過程をさぐるものでした。認識がどのように表現されているのか新聞などからさぐっていたはずです。運勢や占いにはコトワザが多く、さらに丹羽文雄の作品からのコトワザ採集もファイリングされていました。

3.政治戯評を語る

新聞の政治戯評(主に一コマ漫画)にはことば遊びが多用されていることに気付いた向井さんは、東京新聞(佐藤正明作品)をとりあげて紹介しています。
「紅白歌合戦」を「こう吐く歌合戦」と書き換えた作品では、右のように「替え歌」オンパレードの様相。その他、もじりや替え句、アクロスティックも登場し、読み手をニヤッとさせ、ことば遊びには、おかしみや笑い(ユーモア)があることに気付かせてくれます。
笑いは、世の中の常識とちょっとずれたところにあるわけで、政治に勤しむ政治家の皆さんも世の中とずれていることで笑いの餌食になるということなのでしょう。

くだんの佐藤正明氏は、向井さんが紹介している作品集『一笑両断』のなかで、世の中がぎすぎすして正義が大手を振るいすぎているのでは、と心配しています。学校での子供達同士のあだ名も禁止の方向というのもユーモアがありません。笑いを取る漫画家として大いに危機感を感じらているというコメントにも向井さんは大いに賛同してるのです。
江戸中期、寛政の改革を行った松平定信は、
白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき
と読まれています。この精神が一コマ漫画にもことば遊びにも脈々と受け継がれているはずです。(と)
                     
 
 
向井吉人・ことばっちの冒険・2021(3)紹介 (徳永)   
 2021 12.
ことばっちの冒険21.3_000274.jpg へのリンク紹介
徳永忠雄
                                
 
 日々のことばの世界を周遊してきた「ことばっちの冒険」の(3)(4)が向井さんから届きました。
「ことば遊び」の世界は、古典をひもとくと、ことばが文字化される和歌の中でさらに多様に広がったことがわかります。万葉集にかけ算の九九が密かに挿入されたのはよく知られた話ですが、今回の「ことばっちの冒険」(3)では、『古今和歌集』の巻十「物名」からヒントを得たことば遊びが登場します。

 ●来べきほど 時過ぎぬれや 待ちわびて 鳴くなる声の 人をとよむる

ここにはいうまでもなく「ホトトギス」が織り込まれているのですが、読売新聞のコラムをヒントに、この手法で山手線の駅名の中に隠れている「動物」を探す「冒険」が始まります。約半数の駅名にあるとコラム氏はいうのですが、上野の「鵜」、鶯谷の「鶯」「ダニ」…と内回りで探して10駅あまりで見つかったものの半数には達しなかったそうです。あとは皆さんも挑戦をと向井さんは投げかけます。
山手線の駅名遊びで知られているのは、柳亭痴楽の「恋の山手線」でしょう。これも本文ではしっかりとふれられています。さすが落語通のなせる技です。活字にして紹介しているのですが、ここは痴楽氏の流れるような語りで聞くといいかと思います。 (CDまたはYouTubeで)

 このようなことば遊びの例は幾つか紹介されます。
川崎洋さんの詩「ことばかくれんぼ」では 
●フランスの中にラン(蘭)/アメリカの中にあめ(飴)/イギリスの中にリス(栗鼠)…   
と続きます
さらに織田道代さんの「愉快な夜想曲」では
●みみずに/みみは/あるのかな
おおかみに/かみのけ/あるのかな
 あめだまに/めだま/あるのかな… 
と広がっていきます。
 向井さんは、ことばから異なる語を見つけることは容易だが、作る方は難しいといいます。特に織田さんの詩には、「あるのかな」という問いかけで終わっており、ひとつの物語を紡ぐのは簡単にはいきません。
 さらにここからなぞなぞに転じるところが「ことばっちの冒険」の真骨頂です。
1.トラックの上に積んでる動物は、何だ?
2.冷蔵庫の中にいる動物って、なあに?

なぞなぞは、このような柔らかい語り口がいいのです。

●はたけ に たけ はたけ に げた はたけ に はけ

これは、あきびんごさんの「ことばのかくれんぼ」という〈綴り替え〉手法の詩の冒頭です。いろいろなルールや決めを作れば、この手法で楽しく作れると向井さんは幾つかを紹介しています。
 ことばが、本来の言葉の意味から様々に転じて行くさまは、ことばの世界の広さと楽しさを感じさせるのではないでしょうか。

 さて次に登場するのは『竹取物語』です。向井さんが最近読んだ『毒が変えた天平時代』(船山慎次・原書房)によると、作者不明のこの物語の姫のモデルとされるのは孝謙天皇、光明皇后、楊貴妃と作者は考え、その頭文字を揃えると
カウケンテンノウ
クワウミョウコウゴウ
ヤウキヒ
つまり「カクヤ」姫のなるのだという大胆な推理です。向井さんはこの推理をやや無理があるのではと指摘しています。というのもこのような「折り句」が登場するのは『古今和歌集』の平安時代であり、孝謙天皇らの奈良時代にこのようなことば遊びがあったかは不明だからです。それにしても向井さんのことば遊びに関するアンテナは高く、この視点で本を渉猟するのだなと感心するばかりです。
 最後に『植物はなぜ動かないのか』(稲垣栄洋・ちくまプリマー新書)、『植物のいのち』『雑草のはなし』(田中修・中公新書)が登場します。これは向井さんのもう一つの関心分野である虫・植物に関する本で、ここでは植物の命名に関する興味深い話が登場します。まるで柳田国男のようです。
 「ことばっちの冒険」(4)は次回紹介します。(徳永忠雄) 

なお、向井さんの「ことばっちの冒険」のホームページ公開は、担当が変わたため技術的に時間がかかりますのでもう少しお待ちください。

*永野恒雄氏の新著が出ました。『私たちは何を悩んできたか』(同時代社)です。
 高校生に「子供の頃どんな悩みがあった?」と聞いて、それに答えてくれた高校生の返答集です。以前全面研での幻の企画を再構成したもののようです。
 一人一人の物語でもあり、現代の高校生版『遠野物語』といってもいいかもしれません。治らない爪かみ、いつまでも続くおねしょの恐怖から始まり、自分は拾われた子なのか、いじめられた恨み、トイレでの恐怖、良い家族を演じる一家、など現代の子供目線での民俗相が浮かび上がってきて興味深い一冊となっています。それにしても自分を相対化する高校生のたくましさがたくましくもあり涙ぐましくもあります。(と)


 
看護の現場から(徳永)

 
 2021.7
看護の現場から
徳永忠雄
 
 
 「おじいちゃんのあごが突然外れた。近くにいた先輩ナースが治そうとしたが上手くいかず、呼吸が苦しくなってきた。そこに走ってきた婦長さんが「どいて!」と言うと、自分のスカートをたくし上げベッドに飛びのり、「うりゃっ-」と一瞬ではめてしまった。」(M・Cさん)
 これはある看護助手の体験で、庄司さんが教えた看護学校の学生の書いたものです。授業での課題は「三段階論文つくり」による「看護師とは何か」。ちなみに上記のM・Cさんの看護師像は、「感動を仕事にできる職」と結論づけられていました。
 学校とは何か、病院とは何か、人生とは何か…。このように、「とは」と自問する時、いきなり結論は見えてこないものです。だから、体験や具体的な気持ちを書いてみることから始めるのが三段階認識理論です。体験や感情を幾つか並べてみるとそこに一つの筋道が見えてきます。それらをたとえてみたり絵に描いてみると固有の像が浮かんでくるでしょう。上記の授業の看護師の皆さんはこうたとえています。
・看護師は金太郎のようだ     ・看護師はまるで母のようだ
・看護師とは、癒やしの専門家   ・看護師はクッションだ
・看護師とはまるで傘のようだ    ・看護師は配達員のようだ …

 庄司さんが看護学校で認識論を伝授し始めたのは、1970年代でした。それは「ものの見方・考え方」を思考法として磨いた言語学者・三浦つとむの薫陶を受けた看護師・薄(うす)井(い)坦(ひろ)子(こ)氏の働きかけがあったからのようです。言うまでもなく庄司さんも三浦つとむに多大な影響を受けた一人であったからです。
 庄司認識論の発生には、三浦つとむという存在が大きかったはずです。三浦さんは在野であるがゆえ、学閥を超え自分なりのものの見方や考え方をしっかりと自らの中で見出していました。看護師の仕事は様々な場面で素早く的確に判断を要求される仕事です。迷い、逡巡していては生命に関わってしまう、そこに確固たる認識が求められるのです。
 庄司さんの資料の中に、ある看護師さんから送られてきた研究論文がありました。「静脈注射における看護師の不安・負担感と「行政解釈の変更」の認識」というタイトルです。行政解釈変更以前には静脈注射は直接生命に関わる医療行為であったため医師の医療の範囲内でした。しかし、実際には医師の監督、指示の下で看護師が行うことが多々あったのです。その結果、静脈点滴注射ミスなどの医療事故があたかも看護師のミスのようにみなされた場合も少なくありませんでした。
 庄司さんのところに送られてきた論文は、筆者が庄司認識論を踏まえ、静脈注射の接種を医師に劣らない知見と判断を持ち備えるという自立的な看護師像を思い描くことのできる論文でした。そこには体験や情緒的な感覚の段階を踏まえ、科学的な知見と表象認識を高めることによって知識と思考が「のぼり思考」として高まるとともに、患者への説明を「くだり思考」として援用する三段階認識論が見事に使われていることがわかるのです。
 看護学校での庄司さんのねらいは、一人一人に認識論という考え方を身につけてもらうことでした。そこに自立意識のある看護師が生まれるのです。北は北海道から南は沖縄まで、多くが短期集中講座でしたが、今遺されている当時の学生の皆さんの膨大な作品を整理すると、認識論が浸透していったことが伝わってきます。
 コロナ禍の真っ最中において、今も庄司認識論を携えた多くの看護師のみなさんが現場で奮闘しているにちがいありません。
 
ことばっちの冒険2021(1)  (向井)

 
 

2021.3.11
ことばっちの冒険2021(1)

向井 吉人
kotobatti21.1.pdf へのリンク
 
 感想(徳永忠雄)

 国語学者の金田一秀穂さんは、最近の政治家のことばの劣化を問題にしている人の一人です。
 数年前、政治家が失言した後に国会で追及されて「私は国語力が十分でないので…」と弁明したときと、仲間の政治家達が「へへへ…」と笑ったときに二重に怒っていたことが週刊誌に載っていました。金田一さんは、政治家の失言を国語力の問題だとすり替えたことにまず怒り、それを如何にも仲間内のジョークのように聞き流した同類の人々にも怒ったのです。
 スピーチや演説の多い政治家は、語り(ことば)を武器としているわけで、そのことばが空虚であればその仕事内容の質も糾されるのは当然でしょう。そんな無責任なことばが横溢し、コロナ以上に世の中をおかしくしているような昨今です。
 例えば、政治家などが「…と承知している」という最近常套句になっている言葉尻は、自分は当事者ではないと責任を回避しているように聞こえます。
 「…ナントカじゃないでしょうか」と口癖のようにいう現首相の発言には、自信のなさなのか本人特有の自己主張なのか分かりませんが、これも人ごとのように聞こえてなりません。
 「三密」「五つの小」などとやたらに数字を使う某東京都知事にいたっては、未熟な教師が使う学級目標に似た不快感があり、人々を上から目線で見ているような受け入れがたい感覚が残ります。事ほどさように醜態を見せてくれる政治家の発言は、今後「ことばっちの冒険」の中ではどのように問題にされるのでしょうか。
 さて、「ことばっちの冒険・2021(1)」が向井さんから送られてきました。8ページ目に昨年紹介のリストアップがありますが、皆さんもチェックしてみてください。残念ながら「ことば遊びコレクション」は昨年で終了したそうですので、今後はぜひ「政治家の発言集コレクション」をお願いしたいところです。「よろしいんじゃないでしょうか。」

 ◆全面研ニュース
全面教育学研究会の今沢正史さんより新著『人生充実論』(アメージング出版21.2)が送られてきました。山梨日日新聞にも三段組み写真付きで「ことわざで人生充実」と紹介されています。庄司和晃先生の薫陶を受け、コトワザを人生の機微に生かしながら生きていく人生案内となっています。インターネットにて購入可能です。


 
 「たましい通り」と特攻 (徳永忠雄)


 
  2021.02.18  「たましい通り」と特攻
徳永忠雄
 

最近のベストセラーに『不死身の特攻兵』(鴻上尚史・講談社現代新書)という本がある。この本のすごさは、陸軍の21歳の特攻兵(佐々木曹長)が9回も出撃したことにあるのではない。彼が体当たりしろという命令を無視したことがこの本の核心である。
 佐々木曹長の隊長・岩本大尉は、体当たりの特攻は無駄死にだと言う。飛行技術の高い彼は急降下で爆弾を投下したあと敵艦隊の横っ腹を旋回してすり抜けることが出来れば何度でも攻撃できると考えた。それを実行したのが部隊で唯一生き残った佐々木曹長だった。
 特攻は戦況の悪化した頃海軍から始まり陸軍に及ぶ。飛ぶごとに機体が破壊され終戦間近には飛べる飛行機がなかったという無様な結果を招いた。そんなことも想定できない連中が戦争を進めていたのである。
 特攻は名誉の戦死である、というのは作られた物語だった。指揮官達が戦後自分らの行為を正当化するためにそう書いたためであったのだ。若い飛行兵は総じて死に恐怖を抱いて眠れぬ夜を過ごしたという。佐々木曹長の実家では、2回も名誉の戦士の葬儀が行われ、彼は村で軍神となった。そして彼はおそるおそる戦後村に帰還したのだとある。
 
 庄司さんは昭和19年予科練に入り翌20年7月特攻隊に志願した。もう飛ぶ飛行機がない海軍は「伏龍」という無謀な人間機雷を編み出した。潜水服を着た兵士が浅瀬を歩いて爆弾を抱え敵上陸用舟艇に突っ込むのだ。訓練中に死者が出たものの「伏龍」は使われず終戦を迎えた。
 庄司さんの遺品の中での異色は、この特攻関係のものだ。戦友会、会報「特攻」、特攻隊の新聞の切り抜き、それに類する映画・博物館の訪問の足跡が資料として箱に入れられていた。それは往時を懐かしむためのものではなく鎮魂のためでなかったかと想像するのである。
 百田尚樹の『永遠のゼロ』を絶賛し、吉村昭の『ゼロ式戦闘機』をつまらないと日記に書く庄司さんはそこに人間が描かれているかどうかを判断の基準とした。抑制のきいた吉村の作品には感情移入ができなかったのであろう。
 それに加えてこの戦争がなぜ行われたのかという問いを胸の奥に秘めていたことも資料から読見とれる。依頼原稿の「靖国神社とは何か」という短い一文がそれを如実に示す。そこには決して政治問題に振り回されないように、かといって戦争翼賛にならぬよう一字一句に緊張をもって筆を執ったあとが読み取れる。「急がんで、いいです」「価値観は、あとで」「片寄りすぎぬよう」と前置きして次のように末尾を締めくくっている。
「…戦争と平和のことでは、魂の行方の一点をも忘れずに、そこに思いをはせつつ、人間とは何かを問うていくことだと思います」(1997)
 ここに庄司さんの行き着いた「魂通り」が浮かび上がる。「表通り」、「裏通り」を弁証法的に掲げて行き着いたのは「魂通り」だった。「裏通り」の本音は恨み辛みも含めやや感情的であった。しかし「魂通り」には、叫びにも似た心を揺さぶるものが内在する。私は、庄司さんが仏徒としての矜持を抱きつつ特攻兵への鎮魂をいつまでも心に抱いていたゆえにいきついた境地であるに違いないと思うのである。(徳永忠雄)
 

篠原賢朗著『「人の一生」教育論』教育論を読んで (尾崎光弘)
 
 20210121 篠原賢朗 著『「人の一生」教育論』を読んで
尾崎 光弘
 
 ここに篠原賢朗さん(長野県教員 全面研)の近著があります。題名は、『「人の一生」教育論』。副題には、通過儀礼にみる「人の一生」プログラムの教育実践、とあります。刊行年月は2020年5月で総頁125の、重くなく厚くない手に馴染みやすいA5版の一冊です。これが5冊目の著作になります。
 題名に「人の一生」という言葉がありますが、これは柳田國男が編集・執筆した戦後社会科の教科書『日本の社会』(昭和26~28年)のうち、小学6年生の最後の単元名を指しています。故庄司和晃先生もまたこの社会科カリキュラム作りの勉強会に参加し、柳田のもとで社会科をどう作っていけばいいのかを考えました。そのうちの「人の一生」について、柳田・庄司ラインを継承しつつ篠原さんがまとめたのが「人の一生」教育論です。これが第一部で25頁分にまとめられています。残り100頁が第二部の、授業書「人の一生」に当てられています。
 内容は「通過儀礼にみる「人の一生」プログラムの教育実践」です。授業書とは授業用にも自習用にも使えるテキストで、一つひとつの問題について予想をたてながら進めていく点に特徴があります。100頁の授業書は26個の問題から構成されています。ボリュームも結構あります。懐妊・誕生から成年・結婚から葬式、そして弔いあげ(祖霊化の完了)までずらーッと26の通過儀礼を選択し教材化したものです。この本の内容は遠く長野の地から何回も定例会に通いながらレポートを深化させていったその研究成果が詰まっています。
 頁数の配分からも明らかですが、篠原さんが重きをおいているのは、この授業書篇の方です。この本の普及のためのチラシには第二部執筆の意図がこう書かれています。

《私は「人の一生」を通過儀礼、人生儀礼と呼ばれる習俗の「ふし目」に着目して、誕生前から死後までの壮大な世界を教材化したいと考えました。「人の一生」の学習とは、一生を見通しての「世渡り」を学ぶことです。前代人の知恵や生き方を学ぶだけでなく、現代の人生の節目と重ねて考えてもらえるように工夫したつもりです。/心ある人たちに、ぜひ教室で実践していただきたいと思います。/ご自分がやりたいところを、ご自分の肌に合うようなやり方で取り組んでいただき、ご意見をいただけたら幸いです。 2020.7.26》

 私は教育の現場を離れて12年ほどになり、小学生を相手に「人の一生」を授業する場所を持ちません。加えて教員時代に「人の一生」を教えたことも、通過儀礼について詳しく学んだ経験もありません。ならば、私自身が小学生になったつもりで篠原さんの本で学んでいけばいいのだと思いました。詳しく調べたいことが出てきたら参考文献をいくつか読みながら進めていきます。新年になって始めたことですので、まだ十分に腑に落ちていないところがいくつもありますが、学んでいるうちに気付いたことを二、三記録しておこうと思います。そうは言っても、忘れない程度の覚書です。ラフスケッチみたいなものだと思ってくださると助かります。
 まず用語の問題です。二つだけ。「ふし目」の定義を篠原さんはこう書いています。

《・・・「ふし目」とは、人生の危機を突破するためであり、無事にそこまで(その歳まで)生きられたことを喜び合う一里塚としての中間目的地であり、成長目標であり、子育てを学ぶ場であり、社会的承認のプロセスであることを学ぶ。》(3頁)

 これでは「ふし目」という言葉を使って思考するときに使えません、定義が長すぎますし多義的で覚えられません。私なら「ふし目」をこう定義します。──ふし目とは、暮らしの時間と空間にリズムを生み出すきっかけである。これでいいと思います。根拠はヴァン・ジェネップの『通過儀礼』(新思索者 1977)にこうあるからです。

《・・・個人も社会も、自然または宇宙から独立していない。その宇宙それ自体も、人間の生活に反響をあたえる周期性によって支配されている。宇宙にも、段階、通過の瞬間、前進、比較的に休止している期間、そして中断がある。したがって、人間の通過の儀式は月々の移行(例えば満月祭)、季節の転移(太陽の至点と春秋の分点の祭礼》、そして年の更新(新年祭など)の宇宙的な通貨の儀式とむすびつけて考えるべきである。》(10頁)

次に「通過儀礼」の定義です。篠原さんはこう書いています。

《通過儀礼は、社会集団の中で受け継がれてきた伝統的な習わしである。無意識的に自動的に、半ば強制的に行なわれるものであり、人生の危機を乗り越え、人としての社会的承認の節目である》(9頁)

 これも「ふし目」の場合と同じ理由で簡潔に定義すると、──通過儀礼とは、高次の段階を目指してあるふし目を越えたとき、それを確認する儀礼のことです。そしてこのプロセスには構造がある。これでいいと思いますが、その説明として、分離―移行―結合の三段階を構成し、「移行」は試練(危険)が伴い期間限定である、しておきます。この定義はさきに『通過儀礼』やほかの文献をよんで自分なりに作ってみたものです。

 さて二つ目に気付いたことです。
 それは、通過儀礼には見えるのと隠れてそれと分からない二種類あるのではないかという考えです。「表の通過儀礼」と「裏の通過儀礼」と呼んでおきます。この本で紹介されている、誕生前~弔いあげまでの伝統的な通過儀礼が前者です。近代という時代は、このような表の通過儀礼の意味を希薄化し多様化することで通過儀礼の主体のアイデンティティを壊していきます。その結果、通過儀礼という民俗は減少していきます。しかし、人間が高次な段階を目指していく必要性がなくならない限り、先に見た通過儀礼の構造は残るはずです。ここに通過儀礼には見えないけれど、家庭的構造としては<分離-移行-結合>は多様な成長物語を想像することができます。これが「裏の通過儀礼」です。このような見方は、島田裕巳『映画は父を殺すためにある』(ちくま文庫 2012)で紹介され、析出されている映画『ローマ休日』から『男はつらいよ』まで多様な「裏の通過儀礼」の事例を読むことができます。
 こうなると、表と裏の関係が気になります。私が読んだのは『ローマの休日』の分析ですが、そのあと実際に映画を見ると大変優れた作品だと感じることができました。このような感慨は、篠原さんが『「人の一生」教育論』の第二部で説いている表の通過儀礼をより詳しく調べる手がかりになるのではないでしょうか。また表の通過儀礼における多様な通過儀礼の在り方は映画作品の分析をシャープにしていくのでは、と期待が持てます。

 最後に、三つ目の気づきです。
 通過儀礼は一般に高次な段階への「ふし目」を越えたときその確認の儀礼です。したがってその逆の過程に儀礼がついてくるということはありえません。高次な段階に至る(ノボル)儀礼は言ってみれば試練(危機)を確認するものですので、低次な段階に戻る(オリル)儀礼を必要としないことは自明です。一度結婚した二人が、独身だった一人ひとりに戻るための儀礼は考えにくいでしょう。しかし、です。以前の段階に戻る儀礼は考えられないけれども、かつて自分が所属した世代や場所に戻ってみることは可能です。たとえば卒業した学校に行ってみることはできます。もしかした昔のように授業を受けさせてもらえるかもしれません。かといって学力も態度も身体も昔のままというわけにはいきません。ただできそうなのは、幼かった自分の記憶を手がかりにして現在の幼いものたちの気分を想像してみることです。
 これと似たことは、篠原さんの本の第二部を読む(あるいは授業を受ける)世代が多様な場合に見出すことができます。たとえば七五三を経験した子どもは、もっと幼い子の七五三の場面に出くわしたらどのような感想を持つでしょうか。小学校を卒業した児童が中一のときや中三のときに、小学校の卒業式に出席出来たらどんな感想もつでしょうか。どんな立場で集積するかによっても違ってくるかもしれません。もう一つ挙げれば、小学校の入学式には新二年生が歓迎の挨拶をしたり歌や合奏をしてみせたりする学校が多いと思いますが、新二年生はつい一年前の自分と比べてどんなことを思うのでしょうか。その当時の思いが記憶に残ったとすれば、そのご記憶はどのように変化するのでしょうか。変化しないのでしょうか。記憶と気分の問題です。これがハッキリすれば、同じ「人の一生」プログラムを異なる世代が学ぼうとするときに、参考になるかもしれません。
 些細な問題かもしれませんが、直接体験と間接体験の違いには案外重要な違いが隠れているかもしれません。
 *篠原さんの本の入手先、お問い合わせは、E-mail kenro6177@gmail.comへ。
 
 コトワザとの出会い(徳永忠雄)
 
 2020.12.10
コトワザとの出会い
徳永 忠雄
 
 
 庄司さんがいつ頃から認識論のもとになるコトワザ研究をはじめたのか、膨大な資料を整理しながらそんな思いが募りました。庄司さんの資料は、成城学園の教師となった昭和24年頃から残っています。その資料中コトワザが登場するのは現在のところ昭和40年で、成城学園の教室でのコトワザの紹介からです。その前年、仮説実験授業の研究資料が登場します。実は、庄司さんコトワザ研究は理科学習の仮説実験授業の中から導き出されたといっていいのではないかという考えに至りました。
 庄司さんはあるとき、仮説実験授業の記録の中で子ども達が持論を展開するときに、たくさんの接続詞を援用することに気がつきました。「例えば」といえばその例を挙げる説明、「要するに」「結局」といえば結論めいたことを言うときに使う、と。ここから子ども達が無意識にも対象に対して一定の認識を持ち得ていることを示しているんだと気付きます。「例えば」を使うときは、一つの論を踏まえ、それを分かり易く示そうと試みるときです。「要するに」というときには、いろいろな具体例を束ねて結論に持っていこうとするときです。この思考の筋道をたどることこそ「認識」だと気がついたのです。
 庄司さんは同時に成城に住む晩年の柳田国男の薫陶も受けていました。「なぞとことわざ」を成城の子ども達向けに書いた柳田からの影響で、一日一諺を教室で展開したはずです。ところが、あるとき仮説実験授業とコトワザ教育が「認識」という思考の中で重なることに気付いたのです。「例えば」を使わずに「猿も木から落ちる」というでしょ、とか「要するに」を使わずに「負けるが勝ち」よ、言うように。
 庄司さんの研究はその後、仮説実験授業を離れてコトワザ教育をてこに見事な認識論に展開されていきます。この認識論の核は、思考の中の具体と抽象の行き来の発見にあります。これは太古から我々が使ってきた無意識な当たり前の認識なのですが、それを可視化した、あるいは意識化させたことに価値があるのです。
 学校教育の授業で教えるのは多くは決まった知識の伝達です。その中味は、ほとんどが抽象化されています。「民主主義」や「三平方の定理」などといっても分からない子ども達のために先生は「例えば」を使ってその例を示すことになります。ここに認識の筋道が示されます。これは学校教育という狭い世界のことではなく、人間のコミュニケーションの中で毎日繰り返されていることといえます。だから、認識の思考があれば、ものの見方や考え方がみえてくるともいえます。
 言うまでもなくコトワザは、言葉による技です。コトワザを研究する上で重視したいのはその背後にある考え方に気付くことで、単なるコトワザ理解だけではないと思うのです。
 民俗学者・山口麻太郎はことわざを「話し言葉」と規定し、「徹頭徹尾記憶に依頼した」と述べています。故に、コトワザは人々の口伝によって歴史を経て磨かれ取捨選択された無形の文化財といえるのではないでしょうか。和歌や短歌が、文字を介在にして今も残っているとはいえ、古今和歌集以降、多くの人々の心持ちを代弁したとはいえません。俳諧が連歌を介在としてやがて俳句となって現在に至りますが、これらの作品も文学の世界故に評価はまちまちです。
 『笑の本願』の中で柳田は、笑いは闘いの中で起こったと述べていますが、これは諺の「俚言武器説」と重なります。その仮説によれば相手をバカにするときに諺が使われたこともあるだろうし、それが相手を笑うためのものだったはずだからです。
 名古屋大学の李惠敏氏が「日本のことわざはさらに不透明である」(コトワザ研究会)というときの不透明とは、解説を読まないと分からない、あるいは読んでも分からない…、というようなことを指しているようですが、それは闘いや相手を貶めるときの武器であれば当然ではないでしょうか。相手は分からなくても味方同士では分かる、だから「アハハハハ」と嘲笑できるのだと思います。
 コトワザの価値に気付いた庄司さんは、認識論という骨格を持って創作コトワザに邁進します。コトワザが自分で作れると子ども達や生徒達が気付いたとき、言葉は自分のもとのなります。庄司さんの遺した資料の中にはおびただしい創作コトワザがあります。小学生、大学生、そして看護学生。ことに看護に従事する人たちが言葉を主体的に使う技を知り得たらどんなにかすばらしいことでしょう。庄司さんの教えた看護師たちは自らのコトワザを脳裏に今まさに現役で頑張っているはずです。





 
 「人の一生」 …歴史に誘う授業(徳永忠雄)
 
   2020.9.25
「人の一生」 …歴史に誘う授業
 


 最近の学校では四年生になると「二分の一成人式」と称してセレモニーを行うところがあるそうです。20歳の半分を生きた10歳を一つの節目とするのでしょう。これは新たな通過儀礼といえるかもしれません。
 通過儀礼とは、人生の節目に行われるセレモニーのことで、「誕生祝い」から「着初め」、「お七夜」、「出初め」、「宮参り」、「お食い初め」…と生を祝いながら始まり、「七五三」、「成人式」…と続く様々な儀式をさします。厄年、還暦、古希なども一つの節目で、葬式に至って通過儀礼はひとまずゴールを迎えます。
 昔の人々は通過儀礼を何よりも大切にしました。赤ん坊には「お七夜」「お食い初め」「初節句」とおびただしい通過儀礼が行われました。昔は病気や不慮の事故で亡くなることが多かったため、「死」が身近だった人々は「生きる」ことを今の我々よりも何倍も意識していたといえるでしょう。AIの時代になった現在でもこのようなお祝いが継承されるのはちょっと不思議な気がします。
 江戸時代に庶民にも広まりはじめたこのような通過儀礼を、学校でも教えようと試みたのが民俗学を開いた柳田国男でした。昭和29年、実業之日本社に登場した小学6年の社会科教科書がそれで、「人の一生」と銘打った単元が登場します。
 この単元の意図は、人生の中で様々な人々と繋がり合っていることに気づくことにあります。つまり一人一人が多くの人によって支えられ育っていくこと、一生は山あり谷ありですがその中で仕事や家族を大切にすること、老後は再びいろいろな人に世話になって死を迎えることが書かれています。学ぶ中であなたは人生をどう生きますか、という問いかけがひそんでいます。
 ところが高度経済成長の時代に入り、この「人の一生」の単元はなくなってしまいました。その代わり経済活動に必要な知識を学ぶことに重点が置かれました。
 柳田国男は昭和の初めから「選挙民を育てる」ことを教育の大きな柱として考えていました。日本人の選挙が形としては民主主義の手続きを取っていますが、その中味は組織や雇い主に操られ一人一人が判断して投票できていないと見たからです。『明治大正史世相編』(昭和5年)ではそのような人々の様子が描かれています。そこでは一人一人が歴史意識を持つべきであるとも言っています。歴史とは偉人や過去の出来事を学ぶことではなく、自分の中にある歴史を掘り起こすこと、つまり過去の自分を見つめ明日の自分に資することが大切だと述べているのです。子ども向けの著作には「棒の歴史」「火の昔」という興味を引くものがあります。人々が「棒」や「火」とどのように暮らしてきたのかという歴史物語です。「棒」にも「火」にも歴史があるなら当然我々一人一人にも歴史があるわけです。
 「人の一生」は、個人の歴史と置き換えることができます。人々は今でも「厄年」を気にし「還暦」を祝い、子どもの「七五三」を喜んでいます。そこに刻まれた節目の出来事を意識することで自分の中の歴史を自覚しているといえます。自分の歴史を自ら作っていくということなのです。

 ここに一冊の労作が誕生しました。『「人の一生」教育論』(全面教育学研究社2020)です。著者は長野県で小学校の先生をしている篠原賢朗さんです。篠原さんは自らの体験も織り交ぜて、教室で実際に『人の一生』を授業化しました。その問いかけは実際的です。
「七五三はなぜ11月15日に行われるのでしょう」
「昔の人は七歳と八歳の違いをどのように考えていましたか」
「成人式が荒れるようになったのはどうしてでしょう」
と子ども達に問いかけます。その結果、教室の子ども達は過去の自分や未来の自分に出会うことになります。
 実践の最後に絵本『恋ちゃんのはじめての看取り おおばあちゃんの死と向き合う』(農文協)を取り上げています。この絵本は小学五年生の恋(れん)ちゃんが実際に自分のおばあちゃんの死に立ち会った様子を写真を通してリアルに紹介していて心が揺さぶられます。

 自分史つくりというブームが起こったのは高度経済成長期が過ぎたころだったと思います。人生の晩年を迎え、自分を振り返る気になったのは、仕事に邁進した自分への自問自答の結果だったのかも知れません。小学生に「人の一生」を学んでほしいのは、未来ある彼らに、生きることに自覚的になってほしい、という願いがあるからです。(徳永忠雄)




 
 「ことば遊び」をもっと、もっと(徳永忠雄)
 

 2020.9.25
「ことば遊び」をもっと、もっと
徳永 忠雄
 
 
 「雛の節句は 白酒呑んで 桃の花愛(め)で ちらし寿し」(朝日新聞「千葉笑い」より(柏市・とちの実さん)の作品20.3.21)。
秀逸な「折り込みどどいつ」です。「折り込み」とは「アクロスティック」のこと。つまり四つの節の頭文字を並べます。ここでは「ひしもち」という言葉がうかび上がるという仕掛け。

 さて、向井さんから今年も「ことば遊びコレクション2019」・「ことばっちの冒険2020(1)」が届き…それから数ヶ月が経ち紹介が遅れてしまいました。スミマセン。
 注目は「アクロティック」の概念。小学校国語の教科書がアクロスティックを「あいうえお作文」と銘打っていることへの苦言です。「…コレクション」にも「ことばっち…」にも熱く書かれています。
 「アクロスティック」を調べると、そもそも古代ギリシャ語が起源で、アクロス(先頭)+スティック(詩行)とあるので、当然「作文」ではなく「詩」になるわけです。これがアクロスティックの概念の本質です。これが「作文」と銘打たれるとあらぬ方向に向かいます。ネットのウィキペディアではアクロスティックがすでに「あいうえお作文」となっている始末。
 アクロスティックに似た技法は、日本古来からあります。俳諧歌の沓冠(くつかぶり)として『古今和歌集』に登場します。また兼好法師も次のように歌っています。
よもすずし ねざめのかりほ 手枕も ま袖も秋に へだてなきかぜ (吉田兼好)
→よねたまへ(米をくれ) ぜにもほし(金もほしい)
 日本ではこのような技法を折句とも呼びますが、アクロスティックでは詩の完成度とともに織り込まれたユーモアで味付けされた意外な言葉の発見と二重の楽しみを味わえます。「ことば遊び」は単なる遊びと思いがちですが、ここには古来から諷刺とともに、婉曲な感情表現が織り込まれていることは忘れられがちです。

 学校での「ことば遊び」の展開は向井さんの活躍もあって広がりを見せ、教材にもなりつつあるのですが、教室で展開すると、真剣になる子ども達がいる反面、手を抜く子ども達もでてきませんか。指導方法にもよりますが、これ国語の勉強じゃない、と思うのでしょうか。読解や文法が国語の本筋だと思っている子ども達も多いと思いますが、「ことば遊び」は決して息抜きなどではないのです。
 「ことば遊び」は創作であり表現活動です。即興性があり、楽しく作れます。もちろん正解などはなく、評価などにもなじみません。むしろ互いの作品の鑑賞が大切かも知れません。なるほどと思わせたり、にゃっと笑いをとれるかどうか、またその可笑しさを笑えるかどうか、先生も含めて試されるでしょう。
 ちょっとしたてにをはの違いにことば遊びは敏感です。でも、それを助詞などの文法の問題にするのではなく、言葉の使い方の機微に触れることです。「言葉は心の使い」と柳田国男は言いましたが、相手を喜ばせたりもするし悲しませたりもします。答えのある読解や文法の授業の中では決して見えてこないのです。だから自由度のある「ことば遊び」をもっと教室に展開すべきでしょう。
 庄司先生が「今日のコトワザ」と毎日ことわざを教室で展開したように「ことば遊び」も日常的にその感覚を磨くことができればいいと思います。その意味で向井さんの「ことば遊び」の蓄積は大人になっても立派に通用します。
 「募ったけれど募集はしていません」という首相の迷言が国会から発せられ、「答えたけれど答弁はしていない」などと大喜利パロディに題材を与え、「ご飯は食べないけれど(パンは食べた)」という奇妙なすり抜けから「お菓子は食べたけどおやつは食べていない」と混ぜっ返されています。ことば遊びは教室だけでなく大人の世界でも笑わせてくれます。

◆庄司和晃資料整理は現在新型コロナウィルス対応による成城大学への入校制限により3月から8月末まで休止中です。現在1055点まで整理が進んでいます。全体の半分というところでしょうか。なお庄司和晃蔵書は業者により買い取りが終了しました。目録が作られその総数は3500点です。(徳永忠雄)
 
 
 すれ違った人(徳永忠雄)
 
 019.8.20
すれ違った人
 
庄司先生の膨大な資料を整理していると、まるで半世紀近く前にワープしたような情報に接する時があります。

 ある時庄司さんは新宿の小田急の駅の階段を上ろうとしていました。すると上から背の高い痩身の、見るからに顔立ちの整った年配の男性が降りてきたのが視界に入ってきました。あれ、と思った瞬間にその名前を心の中で叫びました。そして声をかけようか、どうしようか一瞬迷ったそうです。その時間は長くはなかったのですが男性は静かに通り過ぎていきました。知的な顔だちの人物は批評家・小林秀雄でした。

 庄司先生の書庫には亀井勝一郎や和辻哲郎らとともに小林秀雄全集と関係書籍が書棚一段を占領していました。様々な関心のあるものに触手を拡げた結果小林秀雄の思考もその対象になったのでしょうか。戦前から戦後にかけて哲学的な思惟で批評人として名をなした小林秀雄は、単なる文芸評論家ではなかったといわれています。批評家の適菜 収氏は、乱暴を承知でと断りつつ小林秀雄の仕事を次のように3行でまとめていました。

・我々近代人は目の前にあるものが見えなくなってしまっている。
・だから世界も歪んで見える。
・そこでこの問題の仕組みを批評により明らかにする。                   
( 『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか』(講談社α新書2018)

 目の前にあるのに見えない、この指摘は現在の日本の本質的な問題を語っています。世界の歪みは小林秀雄の生きている頃よりも大きくなっているはずです。それは三浦つとむや庄司和晃から発する「ものの見方考え方」の仕事と無関係ではないように思います。 庄司和晃の認識論から様々なものの見方を学ぶことが出来ます。それは弁証法を援用しているものの奥には柳田国男の仕事がバックボーンにありました。膨大な柳田国男という倉庫は、何千年ものこの国の先祖の歴史を背負っていることと同じで、西欧の社会科学の手法で語れるものではなかったといってもいいでしょう。
 亡くなる1年前に 庄司和晃は「私の仕事は50年後には価値が再び認められると思います」と我々に言い残しました。そのために今も整理作業をしているのですが、小林秀雄にも同じことが言えそうです。彼が亡くなったのが1983年ですが、為し得た評論は今の歪んだ世相に再び照射しているように思えてきます。その言葉は今でも通用するからです。

 柳田国男の幼少体験を小林秀雄は「信ずること知ること」で取り上げています。その幼少体験とは13歳の時に転居した茨城県布川での出来事でした。隣の旧家には膨大な書籍があり彼はそれを読み漁っていたのですが、あるときその家の庭の奥にある石の祠をが気になり無断で開けてしまうのです。祠には先祖のになった老(ろう)媼(おう)が祀られていました。祠の中央にあった大きな蝋石の珠を見たとき彼は青空の中に星が見え、昂奮し錯乱にも似た異常心理に襲われたと『故郷七十年』に書かれています。小林秀雄はこの異常体験を通して柳田を評価します。霊的なものに対する心理を極めようとしたからです。
 「…お化けの話を、何故真面目に扱わねばならないかという柳田さんの考えは、其処にはこれを信ずるか、疑うかという各人の生活上の具体的経験が関係してくるからだという所にありました」(「信ずること知ること」)
 ここに柳田の学問の端緒があり『先祖の話』に続く道筋が小林秀雄にも見えていたのだと思います。

 新宿ですれ違った庄司和晃と小林秀雄、その一瞬の邂逅は必然であったと思います。人をまず顔立ちで評価した小林秀雄は、おそらく柳田に似て直感に自信のある人だったのでしょう。体の大きな好男子だった庄司和晃はそれに十分に太刀打ちできるはずです。おそらく今こそ二人でじっくりと語っていることでしょう。(徳永忠雄)
 
2019.8.8
ことばっちの冒険・2019(3)
向井吉人
 
  2019.8.8
ことばっちの冒険・2019(3)

(向井 吉人)
向井さんから原稿が届きました。いつものように四つの話からなる今回の「ことばっちの冒険・2019(3)」は、2019年版の3回目の通信です。❶は同じ漢字三つをピラミッド状(△)に組み合わせた漢字の話題。❷は松竹梅などの、三つ漢字やことばを組み合わせた決まり文句(慣用句)の話題。縁起のいい松竹梅という三つの漢字の組み合わせを一つずつに解体し、そこに田、川、林・・・など漢字を添えてみると、松田、竹田、梅田など名字や地名などができて忘れていた人の顔がふと蘇る瞬間があり、これが「面白い」と書いています。私も中学時代の同級生を瞬時に思い出しました。このような感性こそ向井さんのことば遊びを特徴づけ、研究を動機づけてきた力だと思いました。❸はそのような力をフル稼働した話だと思いました。かつて「ことばで遊ぶ」や「ことばと遊ぶ」というイメージで固定化し流布されてきた「ことば遊び」像を壊したくて「ことばを遊ぶ」というコンセプトを考え出したこと、そしてこの観点でこれまでの技法をとらえ直した内容が概論風に記述されています。これを再読しながら、私はことば遊びが、定型に対する破格という俳諧の精神と重なるのではないかと思いました。文学史というものが、定型に磨きをかける道とその破格の可能性を追及する道の二本によって構築されてきたということに改めて気付かされました。定型と破格の関係はもっと多方面に適用できそうです。❹は海という漢字に一字加えて<創作熟語>をこしらえる話。これまた「面白いものだ」という感性に導かれた話題でしょう。

▼当HPについての予告です。ようやくのことで、秋からHP編集担当が交替します。それを目指して現在不具合を修理しています。手はじめに「トップページ」のコラム欄を整理し、「庄司和晃の名言」のページを再構築しました。またご不便をおかけしていた「問い合わせメール」ですが、新しい担当者にすっかり交替するまで使えません。申し訳ありません。秋にはどんなリニューアルになるか。ご期待ください
。(編集部)



 
 ことばっちの冒険2019(2) (向井吉人)  
 2019.5.13 ことばっちの冒険2019(2)
(向井 吉人)

●向井さんから令和時代初の「ことばっちの冒険」が送られてきました。2019版の2号です。今回も4本立て構成で、1節と2節は最近のことば遊びの授業のふりかえり。これまで何回も試みられてきた作品つくりの中から、だんだんばなし、しりとり、くつかんむり、アクロスティックのそれぞれの作品を批評しています。向井さんの批評のことばが少し変わってきたかなと思いました。概括的というかスパッと言い切る感じというか。・・・「いや変わらんよ」といわれてしまえばみもふたもない話。●でも、今回の批評を文章論として読めば、しりとり作品で、思いがけない着想に新鮮さを覚えたとは<転換>を意味し、くつかんむり作品には<韻律>を生みだす仕掛けを見てとることができるのではないかと思いました。どんなことばをイメージして<選択>するか、あるいは<比喩>については、これまで向井さんがしばしば指摘するとおりです。短歌や俳句やコトワザなどと同様に、ことば遊び作品も文章としてみれば面白いと思いました。●(3)の週刊誌の平成各年の「創作四字熟語」も面白い。すぐに既知の四字熟語が下敷きになっていると分かる作品のほかに、慣用的な四字熟語でないものが下敷きになっているのもあることを指摘しています。たとえば「三後重五」(1997年の消費税が5%に)は、3×5=15の音が下敷きになっています。私もにわかに作ってみると、令和元年は「八息十死」(あおいきとしに)はどうでしょう。八には青物の青をかけて、青息吐息を下敷きにしてみました。●また下敷きになる四字熟語が思いつかなかった作品があるとのこと。オレオレ詐欺が多発した年を「我称連呼」(がしょうれんこ)、トリノ五輪で荒川静香が初金メダルをとった年を「銀盤反舞」(ぎんばんそるまい)、東京スカイツリー開業の年を「鉄塔待日」(てっとうまつひ)の下敷きになっていると思われる既知の四字熟語は、音に引かれて順に参ると、「合従連衡」「大盤振舞」「徹頭徹尾」ではないかしら。●最後の話題は、「こう吐く歌合戦」で有名な佐藤正朗さんの漫画戯評〝「仲介者」の巻〟の紹介。ひとりだけ分からない人物がいます。金正恩の左後方で左手を挙げているのは誰でしょう。普通に考えれば、習近平ですが。どうも似てない。(編集部)
 
 ことばっちの冒険2019(1) (向井吉人)  
  019.03.11
ことばっちの冒険2019(1)
(向井 吉人


●向井さんから「ことばっちの冒険2019(1)」が届きました。話題は五つ。①首都圏にある私鉄10社が企画する「宝探しスタンプラリー」におけることば遊び的クイズの紹介。②バレンタインデー用のチョコレート売り場での、商品パッケージにおけるネーミング(チャッチコピー)の紹介。すでによく知られた商品名や会社名をパロディ化したものが並びます。中味は全部チョコレートなのに、です。たとえば、「胸キュン鍋 AINOMOTO  キュンとキター」はすぐ分かりましたが、見当がつかないものが多数。③小学6年用に作った「漢字遊びドリル」の一つ、「同じ部首でできている熟語探し」の紹介。この遊びのアイディアは新聞の見出しやテレビのテロップを眺めているときに思いついたそうです。④雑誌『女性セブン』という雑誌に、掲載されていた「うちの県にしかない漢字」という記事の紹介。いわゆる国字(和製漢字)の話題ですが、なかなか奥が深い。たとえば宮城県の「閖上(ゆりあげ」の「閖」は、国字ではなく、千年前の中国の辞書によればこの字に「水害・大水」の意味があったというのです(今日は3.11!)。⑤テレビ番組「潜在能力テスト」の書籍版第三巻の紹介。まだマンネリになっていない秘密を解いています。●いやあ、よくこれだけのことば遊びを見つけだすものです。そこで改めて話題の採集場所を推察してみると、①は私鉄の駅、②はデパート・スーパー・コンビニ、③は家庭→教室、④床屋?、⑤はテレビと書店。かなり多様なフィールドで「ことば遊びの眼」を光らせていることが分かります。(編集部)
 
 ことば遊びコレクション2018(向井吉人)  
  2019/02/19
ことば遊びコレクション2018
(向井 吉人)


●向井さんから2018年版の「ことば遊びコレクション」が届きました。これは毎年1回年末に、子ども向けのことば遊び本を10冊選んで紹介・批評するという試みです。私が初めて向井さんの「ことば遊びコレクション」の原稿に出会ったのは、1993年版の全面教育学研究会の年報でした。冒頭に鉄道好きの息子さんに付き合ってSLに乗ってみなかみ温泉に行ったときに購入した「灰皿」の話(実はここに「現代銭づくし」と言える創作漢字が書かれていた)で印象深い記事だった、・・・といいたいところですがすっかり忘れていました。でも読んでみると、なんだかその当時の向井さんの風貌が甦ってきて懐かしかったです。このコレクション10選シリーズも、今年で26年目。たぶんまだまだ続くと思います(編集部)
 
 ことばっちの冒険2018(6)(向井吉人)  
  2019.1.24
ことばっちの冒険2018(6)
(向井 吉人)


平成最後の年になりました。向井さんから「ことばっちの冒険2018(6)」の原稿が届きました。いつもありがとうございます。今年もまた宜しくお願いします。今回は①NHKの番組「ちこちゃんに叱られる」から、なんでおやじは「おやじギャグ」を言うの?という話題。脳とことば遊びの関係をどう考えたか。②はことば遊びの「くつかんむり」に挑戦した中学生への出前授業の記録と作品。「くつかんむり」は平安時代のことば遊びだそうな。③は同じく出前授業での漢字遊びの記録。小学一年生で習う漢字から二字熟語をつくるもの。つくりの簡単な漢字だから熟語もかんたんに出来ちゃうのでしょうか。④は三段なぞと「福引き」という宴会芸の紹介。三段なぞの作品は秀逸。普通の「福引き」もことば遊びを挟むだけで、大変楽しいものに変身。こういうのいいですね。でも職場に遊び心がないと・・・。⑤は年末恒例の「創作四字熟語」と「こう吐く歌合戦」の話題。後者は毎年感心します。プーチンらしき和服姿の演歌歌手が「返そうかなー、返すのよそうかなー」なんて歌っています。手玉にとられているのは明々白々。(編集部)
 
   
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