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庄司和晃の仕事




庄司和晃の仕事


 
   庄司先生の数多い刊行本は
研究会に提出された手がきの教育実験レポートがもとになっています。
これ以外にも研究会でしか公開されることがなかった膨大な「手がき」群が存在します。
ここでは主に「手がきレポート」を、先生の承諾をえたうえで順次公開していきます。
先生の手がき(手描き?)はいつまでも眺めていたくなる
そんな不思議な魅力に満ちています。
     
 庄司和晃の経歴
keireki.pdf へ
 2009.4.10  いわゆる「年譜」を独自に分類したもの。テキストデータも以下に公開。
(1)学校歴ほか  (2)教員歴  (3)非常勤教員歴/A教育論 
(4)非常勤教員歴/B認識論  (5)著作歴の五つからなる。
各項目をクリック。 
     
     
主として手書きコンテンツ  発表年月日 こんな内容です(編集者メモ)
手がき 「絵ときコトワザ」の教育実験
20130413etokikotowaza-kyoikujikken.pdf へ
2013.4.13  2013.4.13全面研例会に提出予定で準備された
 手がき 歓迎度による評価
20120608kangeido-polaris.pdf へ
 2013.4.13  2012.6.8ポラリス保健看護学院1年生(15回生)に対する論理学講義への評価。2013.4.13全面研例会に提出予定で準備された。
手がき 絵ときコトワザ 
20120601etokikotowaza-polaris1.pdf へ
 2013.4.13   2012.6.1ポラリス保健看護学院・1年生のクラスでの教育実験記録。2013.4.13全面研例会に提出予定で準備された。
手がき 絵コトワザ
20120528e-kotowaza-shaho1.pdf へ
 2013.4.13   2012.5.28の社会保険船橋保険看護専門学校・1年生のクラスでの教育実験記録。2013.4.13全面研例会に提出予定で準備された。
 手がき 「絵ときコトワザ」の創作
20130128etokikotowaza-sosaku.pdf へ
2013.1.28   2013.1.28の自衛隊中央病院高等看護学院・3年生への認識論講義の中での授業実践の記録。2012年度『年報』(2013.3.24)に発表。副題に「知る・理解する・ものにする認識プロセス」とある。
手がき 論理的思考
20121023ronriteki-siko.pdf へ 
  2012.10.23   赤十字看護管理者研修Ⅱのために作成された講義テキスト。同年12月の例会に提出。副題に<認識の三段階連関理論を踏まえつつ「論理的思考」の能力を高めていきたい>と記す。4頁に図:「庄司論理学の骨格」あり。これは先生による最新の論理学構成。目次に注目したい。
手がき アリンコの話
20121006arinkono-hanashi.pdf へ

2012.10.6
 
 例会に提出。構成は、(1)アリンコの三段階論文づくり (2)学生のかいたアリンコ全員集合 (3)アリンコをたとえると。(1)の先生自らの論文をコラム欄に掲載。(2)(3)は先生の楽しんで描かれている姿が思い浮かびます。
手がき 病気の三段階論文作り 
20120514byoki-no-3dankai-ronbun.pdf へ

2012.5.14   肝心要の一点を提示した論文づくりをしたナイチンゲールや道元の文章分析がすごい。それを可能にしたのも三段階連関理論が念頭になったからと記されています。くどい文章は小見出しで論旨を出していくこと、これも心に留めて置きたい一点です。
 手がき 三段階論文づくり
・認識ninsiki-3dankai-ronbun.pdf へ

・論理ronri-3dankai-ronbun.pdf へ

・アリンコarinko-3dankai-ronbun.pdf
2012.4.28   上記「庄司式論理学の足場」に未載のレポート2本「認識の三段階論文づくり」と「論理の三段階論文づくり」を公開。また「アリンコの三段階論文づくり」は「庄司式論理学の足場」に載録されたものの原型です。「なぜアリンコか」の文章と進化論的編集のイラスト(残念ながら分割コピー)が楽しい。
 一部手がき 自分の学問と人生
gakumontojinsei.pdf へ 
 2012.1.28  師匠筋の先人に関する論やエッセー。
 1.私にとって三浦つとむとは何か(2002) 2.私にとって柳田國男とは何か(2007) 3.私にとって澤柳政太郎とは何か(1979) 4.私の人生とは何か(2007)  5.愛とは何か(2007)
 手がき 庄司式認識論体系要目
ninsikirontaikeiyomoku.PDF へ
2011.7.31   庄司先生の論理学づくりも教育学づくりも、総じて学問と実践のしごとは、ここが源です。副題には「三段階連関理論を主軸とする認識論」とあります。 
手がき 庄司式論理学の足場
ronrigakunoasiba.pdf へ 
 2011.7.30  副題には「三段階論文づくりで見せた学ぶ側の位置とその思い」とあります。講義を進めるにあたり学ぶ側の立場や思いをすくい取る実践的方法論=「三段階論文づくり」が紹介されています。──(1)アリンコとは何か (2)科学とは何か (3)大仏とは何か (4)宗教とは何か (5)コトワザとは何か (6)一生とは何か (7)私の人生とは何か
手がき 庄司式論理学の大系要目
ronrigakutaikeiyomoku.pdf へ 
 2011.7.21   三段階連関理論を主軸に、A~Fまで六つの柱から構成されています。A.認識の論理 B.科学の論理 C.宗教の論理 D.コトワザの論理 E。一生の論理 F.弁証法の論理。
 手がき 三段階論文づくり 私の人生とは何か
── 一生認識論の締めくくり ──
20110607ronbuntukuri-watasinojinseitowa.pdf へ
2011.6.7   
手がき のぼりおり論理学 その3
 
20080316noboriori-ronrigaku(3).pdf へ
2008.3.16   2007年度版『全面研年報』(2008.3.16)に収録。「第2部「正しい」ことの論」。倫理面(人の道)と論理面(正しい思考法)の両面から説く。
一部手がき 庄司研究系統樹
20071117shoji-kenkyu-keitojyu.pdf へ
 
2007.11.17    1986.10.5現在の研究系統図と、2007.11.17の改訂版を公開。2012.10.6の例会で、沢柳政太郎研究の一助として提出された。
手がき のぼりおり論理学 その2
20070329nobori-ori-ronrigaku(2).pdf へ  
2007.3.29   2006年度版『全面研年報』に収録。「第1部論文づくり」の続き。先生の「評論的文章」論。三段階論文づくり形式・見本の提出。さらに10章以下は独創的文章論を展開。名言にあふれています。
手がき のぼりおり論理学 その1
20050930nobori-ori-ronrigaku(1).pdf へ
2005.9.30   2005年度版『全面研年報』に収録。若い人が認識ののぼりおりを踏まえた論理的思考を行使できるように、というのが一番のねらい。実践的課題は文章作りから、ポイントは論文づくりに置く。緒論、第1部 1~6章まで収録。先生の「論文的文章」論。
 講演会参加記 澤柳研究のこと
──思い出と共に
20050625sawayanagi-kenkyu-omoide.pdf へ
2005.6.25   2004.11.24(土)に『澤柳政太郎私家文書目録』刊行記念に催された特別講演会「澤柳政太郎とその時代」(成城学園教育研究所主催 成城大学七号館)の参加記。『成城教育』128号(2005.6.25)に収録。この128号と澤柳の『実際的教育学』を是非読んでみたいと思いました。
何の為に理科の勉強をするのか
koen-nannotamenirika.pdf へ
2005.3.3   1982.6.4の、成城学園における講演記録。「こんなものが見つかりました」といって残部をくださったものを公開。1960年頃の理科教育界の相克と展望を語る「私学理科と私」と、その中で「庄司和晃の理科」を押し出していく話が実にダイナミック。
手がき 弁証法とは何か
──もう一つの弁証法教育の方法
20050224benshoho-toha-nanika.pdf へ
2005.2.24   2004年度版『全面教育学研究会年報』に掲載。創作コトワザによって弁証法教育の一層の具体化を追究。弁証法の分かりやすい概論であると同時に教育上の突破口(「弁証法コトワザ」一覧)を提示。また、「矛盾の解決法」における、③供養式の解決(神秘的解決)は先生独自の提案。
 手がき 認識の三段階づくり
──各人の発見と作品への庄司のコメント
20020211ninshiki-no-3dankaidukuri.pdf へ
2002.2.11   
 手がき マンダラ文化論と教育
19990316mandara-bunkaron-kyouiku.pdf へ
1999.3.16   1999.5.7例会に提出、2012.12.1に再提出。この手がきレポートが例会に二度提出されたことの意味は重いと思われます。研究会には全面教育学にとどまらず、自分の研究課題上の関心で三段階連関理論を学ぶために集まる同人も少なくない現状を考慮すると、先生の意図はそのような全面的なありかたをマンダラ文化論という手法で表現すること、マンダラ文化論そのものを方法として浮上させること、そこにある気がします。では、私たちはこれをどう受けとめるのか、ここが問われているのです。
手がき 宗教発生論と教育
──人間文化としての知恵を掬い取る──
19990107-0325shukyo-hasseiron-to-kyoiku.pdf へ
1999.1.7   「宗教学がいろん」としての単行本『人はなぜオカルトに魅かれるのか』に続く論考。2000年度版『年報』に収録。宗教を神秘的事象と定義しその膨大な蓄積を「人間文化の中の一大成果」として受けとめ知恵の掬いとりと教育への活用を考える。受けとめの要諦は宗教発生の根源から捉えること。「大魔神社の登場」や「植民地神社」などの神社つくり論は人間というものを深く考えさせます。
 手がき 由来ばなし文化と教育
──伝承モノの理解と創作へのスタート
19981211yuraibanashi-bunka-to-kyoiku.pdf へ
1998.12.11   1999年度版『年報』に収録。「由来・由緒。縁起への目」に始まり、ひとまず「由来ばなしを作る」に終る全18章からなる論文。「教材研究」や「テーマをもった教育研究」の進め方の見本のような編集だと感じます。教育についての学問はこうやって作るのか、と実感させてくれます。
手がき 謎とき物語の教育
──その意義と可能性のとき明かし。そして由来由緒の文化現象への志向
19980710-1009nazotoki-monogatari-kyoiku.pdf へ
1998.9.11  1998.9.11の例会に提出。1998年度版『年報』に収録。前科学・非科学の教育内容づくりの一つだが、いわゆる昔話の「謎とき物語」の教育を通して、ばかばかしいもののみごとさを見つけ体験しようと提案する。全16章からなる論文。人間の根っこを意識化させる試み。庄司思想の一つの柱。
 手がき 魂通り論
──精神生活の構造──
19971121tamashii-dori-ron.pdf へ
1997.11.21  1997年度版『年報』所収。「子どもは変わったのか?」というテーマを考える中で書かれた段階的人間理解論。究極に「死への恐れ」を位置づけて魂通りー裏通りー表通りという三段階を構築。「通り」とは人々の往来すなわち生きる世界を表したものと思われます。先生らしいユニークな命名です。
手がき 人の道教育論
──通常教育の本質をなすもの──
19970307hitonomichi-kyoikuron.pdf へ
1997.3.7   1997年度版『年報』に収録。通常教育とは「よきにはからえ」の教育であること、ここでの「格外教育」との対比は多くの示唆を与えます。また人の道とは「人間の歩いて行く道であること、その方法としては「規範的認識の結晶」を解明する必要があることを簡潔に述べています。事例が豊富です。
 手がき 格外教育論
──役立たず教育のすすめ──
19970112kakugai-kyoikuron.pdf へ
1997.1.12   1996年度版『年報』に収録。副題に「役立たずの教育のすすめ」とあるように、この教育論いや教育哲学は、役に立つ「通常教育」との対比で構想されています。教育文化は役に立つ(実用性)ばかりではないぞ、観賞性も価値性もあると考える全面教育学ならではの一分野の総論です。一読して溜飲の下がる思いがします。
手がき なぜ「死の教育」なのか
1995212-621naze-sinokyoiku-nanoka.pdf へ
1995.2.12
~6.21 
 
全面教育学2
弁証法教育という実践的課題
zenmenkyoikugaku2.pdf へ
 
1995   脱稿は1990年5月。『全面教育学Vol.2』掲載。
全面教育学入門1~4
rensai-zenmenkyoikugaku-nyumon1.2.3.4.pdf へ 
1990    雑誌『現代教育科学』1990年4~7月号に連載
全面教育学1
zenmenkyoikugaku1.pdf へ
1988.11  『全面教育学Vol.1(1988)掲載。脱稿は1985年3月。
「全面教育学」という名称がついた著作暦(脱稿年月は括弧)は今のところ以下のように整理できます。
1979    『全面教育学の構想』(大東文化大学教育学科第14研究室。以後、大東版とよぶ)
・1979    『全面教育学要説第一分冊』(同上
・1981.12 「全面教育学の構想(一)」(『ものの見方考え方』第2集 季節社

・1988.3  庄司和晃著作集第一巻『全面教育学の構想』(明治図書、以後明治図書版とよぶ
・1988.11(1985年3月) 「全面教育学1」
・1990.4~7 「全面教育学入門」(雑誌『現代教育科学』1990年4~7月号に連載

・1994.11 『全面教育学入門──渡世法体得という教育本質観』(明治図書)
・1995.3(1990。5)  「全面教育学2 弁証法教育という実践的課題」(『全面教育学Vol.2』
・2009.4(2008.12の記念講演)「全面教育学の現在と未来」(25周年記念集会記録集。本サイトに掲載
 理科教師の科学観に問題はないか
198704-06rikakyoshi-kagkukan-mondai.pdf へ
1987.4~6   
柳田社会科の教科書と仮説実験授業の授業書198511yanagida-shakaika-kasetsu-jyugyosho.pdf へ 1985.11  成城学園教育研究所研究年報 第八集に収録。構成は、1. 沢柳政太郎と柳田国男の教科書観 2.授業科学の道を開いた「授業書」  3.なぜ教科書づくりに踏み切ったか  4.『日本の社会』と銘打った社会科  5.子供側の反応を下地とする研究。常識的教科書観を見直す一篇。
澤柳政太郎研究の目途と課題
19790530sawayanagi-kenkyu-mokuto-kadai.pdf へ
1979.5.30   『澤柳政太郎全集 別巻 沢柳政太郎研究』に収録の「沢柳政太郎研究の目途と課題」から「一 澤柳研究会の初心と構想」「四 澤柳政太郎研究の意義」を抜粋。ここには<蒐集ー理解ー建設>という「庄司和晃研究」への手がかりが記されています。残る二節と三節は、近く公開の予定。
 変わっていない特殊的知識主義
197708kawattenai-tokshchisiki-shgi.pdf へ
1977.08  『現代教育科学』(明治図書 1977.08)に「新学習指導要領の能力・学力観の検討/理科教育の立場から・3」として掲載された。1977年の『要領案』は、「ゆとりと精選」が唄い文句でいかにも現場の裁量が広がるかのような幻想を一部で生みだしたがこの欺瞞をするどく衝いています。それにしてもなぜ国は理科教育において、科学上の原理的法則を身につけさせるという「普遍」を認識させて行使させる学力観をこれほど避けているのか。
 普遍を行使する学力
197510huhen-koshi-gakuryoku.pdf へ
 1975.10  『現代教育科学』(明治図書 1975.10)に、テーマ「どんな学力・基礎学力」の一つとして掲載。短篇だが、教育の本質と学力→学力の過程的構造→基礎学力のかなめへと展開する、土台に堅固な城を築きあげるような力強い論文。
 理科
──実験と思考の諸原則──
197506rika.pdf へ
 1975.06  『児童心理』(金子書房 1975.06)に「考える授業の実践」の一つとして掲載。真なるものを求めてすべてを動員して考えよ、という科学本質観をもとに、予想中心の教育法の実践的意義を説きます。
 解体的保存の立場
197408kaitaiteki-hozon.pdf へ
 1974.08  『現代教育科学』(明治図書 1974.08)に掲載。低学年理科を廃止しようという声が高まる中で、低学年の自然体験を保障する意義を説き、科学の本質的把握のなかで低学年理科の可能性を位置づけます。
 助け合い学習における教育力
197402tasukeai-to-kyoikuryoku.pdf へ
 1974.02  『現代教育科学』(明治図書 1974.02)に掲載。助け合い学習には<非敵対的>と<敵対的>の二種類あるとして、学校では軽視されがちな後者について、仮説実験授業での子ども集団の成長を通して論じます。敵対的なあり方に再考を促します。又助け合いの本質規定についても見逃せません。
 仮説実験授業と子どものわかり方
197311kasetsu-to-wkarikata.pdf へ
1973.11   『現代教育科学』(明治図書 1973.11)に掲載。仮説実験授業を通じ子どものわかり方の二面相を浮き彫りにします。それは生活次元の素朴なありかたに対する思想次元の高まりのこと。両者の落差は生活べったりでないものを教えるからこそ生じると分析します。またわかり方は育つものだという提言は教師の意表をつきます。
 「仮説実験授業」と思考力の育成
197105kasetsu-to-shikoryoku.pdf へ
1971.05   『児童心理』(金子書房 1971.05)に掲載。仮説実験授業によってどのような思考力が育つかを論じた論文。原理的・仮説的・例的・イメージ的思考力の四つです。特に「イメージ的思考力」とは、目に見えない世界をイメージという実体でみてゆく考え方。これによって観察主義を突破。さらに思考力の育成という実践的課題を体験主義ばかりでなくそれを踏まえての自覚教育の必要性を提言。
教科書即教材即教育という教育観
──ここからの脱皮と自主編成への道──
197005kyokashokyozai.pdf へ
1970.05   『現代教育科学』(明治図書 1970.05)に掲載。特集「テーマ・自主編成の考え方と教材観の変革」の一篇として執筆される。対象を手玉にとるがごとき自在さをもつ教育観を提起することで、教科書即教材即教育の考え方から脱皮せよと主張する。またこの時期、自主編成運動の科学化に触れていることにも注目される。
 「長い宿題」の出し方と生かし方
──科学の本の感想文と継続観察の場合──
196906nagai-shukudai.pdf へ
1969.06   『児童心理』(金子書房 1969.06)に掲載。書かせっぱなしの感想文、させっぱなしの継続観察になりがちな教育機会を見直す一篇。子どもの力を伸ばす機会を知らず知らずに、教室の「教え/教えられる関係」だけに限定しがちな意識に反省を迫ります。
偏見の問題と仮説実験授業
──学習を妨げるものとその指導──
 196904henken-kasetsujikken.pdf へ
1969.04   『児童心理』(金子書房 1969.04)に掲載。何でも他人の考えに頼った方が得策だというのが偏見であるように、何でもかでも自分だけで考えなければならないというのも偏見である、として子どもの持つ偏見は、真理観の育成に密接な関わりがあることを仮説実験授業の授業実践から説く。
 発言し過ぎる子・発言しない子の指導
──小学生における実践とその考察──
196711hatugensisugiruko-sinaiko.pdf へ
1967.11   『児童心理』(金子書房 1967.11)に掲載。実践的な論文。「デベソ」という方法、仮説実験授業の討論の原則などから表題の問題を考えます。しかし、思春期のダンマリには有効な方法は持っていないと記す。




庄司和晃の経歴

(1)学校歴ほか   2008.10.26~11.12記
 序
八十の「声」が、身近に聞こえるようになったころから、ごくしぜんに、記しとどめていきました。年表的概観のかたちにしてみました。ことしの立春の日に、満八十歳になったところです。この概観が、庄司の学問と実践活動を理解する一助になれば、と思っています。 
0歳 1929(昭4) ●二月四日 庄司和晃(かずあき)、生まれる
         山形県西村山郡本郷村葛沢(現、大江町葛沢)
         生家、曹洞宗、葛沢山高松寺 
         本名、宗晃(むねあき)、次男 
         父、 雲舟(同郡左澤町藤田生まれ、現大江町藤田)高松寺二十二世 
         母、 はな(同郡西山村鶴部生まれ、現西川町鶴部)
         兄、 宗憲、高松寺二十三世
         妹、 順子
         (母は、昭和九年八月七日に、三十三歳のときに病気で死亡。和晃五歳。
         その後、新しい母セイ〈東村山郡東根町長瀞生まれ〉に育てられる)
         (父と新しい母との間に)
         弟、 宗廣
         妹、 智恵子
         妹、 隆子
6歳 1935(昭10)  ●四月 本郷東部尋常高等小学校 入学(現、大江町立東小学校)
               [男子組47名(女子組35名)]
               一年担任  氏家◯◯先生  二年担任 阿部豊吉先生
               四・五年担任 大江幸正先生 六年担任 西長富太郎先生
12歳 1941(昭16)  ●三月 同校 卒業

 ●四月 山形県立寒河江中学校 入学(現、寒河江高等学校)
14歳 1942(昭17)  ●十月 陸軍少年戦車兵学校の学力試験に合格し、村人におくられ、富士山麓の学校   へ行ったが、体力と適性の検査で、結局不合格。帰郷、中学校にもどる。
16歳 1944(昭19)  ●六月 勤労動員で藤沢市の日本精工株式会社で働く(学業中の中学生の動員)

 ●七月 陸軍の特幹(船舶兵)と海軍の予科練(飛行兵)に志願して合格、入隊の日の
       早かった予科練へ行く

 ●九月 海軍甲種飛行予科練習生第15期として、鳥取県の美保海軍航空隊に入隊
                         (中学四年の一学期をおえてのことであった)

 ●十二月 石川県の小松海軍航空隊に転勤
17歳 1945(昭20)  ●三月 柔道の訓練で、左の膝にヒビがはいり、山中海軍病院に入院、四月に退院
      入隊中に、旧制の寒河江中学校を卒業した報を受く
      (この年度の中学校の四年生は、戦時の特別措置で、四年修了をもって「卒業」
      とされた)
     
 ●七月 海軍特別攻撃隊「伏龍隊」に志願、三浦半島の久里浜で訓練を受く

 ●八月 大東亜戦争終戦、伏龍隊の訓練 中止

 ●九月 復員 (ポツダム海軍二等飛行兵曹)

 ●十一月  山形師範学校本科一年に編入(現、山形大学教育学部)
19歳 1948(昭23)  ●三月 同校 卒業
      (四月から教員の道を歩く)
      
      得度
      (山形市灰塚七十の正光寺の土田法道師によって得度を受く、三月二十日。
      しかしその後は、僧の道を歩かなかった)
20歳 1949(昭24)  ●九月 東京都世田谷区に移住
22歳 1951(昭26)  ●四月 東洋大学仏教学部 入学、講義が肌に合わず、五月に自分から退学
23歳 1952(昭27)  ●四月 日本大学文学部宗教学科 入学(現、同文理学部哲学科)
25歳 1954(昭27)  ●十一月  結婚
         長井市本町出身の鈴木志ん(昭和三年八月一日生まれ)と、結婚する
         長女、明世 生まれる(昭和三十一年一月十三日)
         長男、晃 生まれる (昭和三十三年九月二十日)
26歳 1955(昭30)  ●三月 同大学 卒業
思い出①  omoide1.pdf へのリンク

 





 

 (2)教員歴      2008.10.17~19記
 19歳 1948(昭23)  ●三月  山形師範学校 卒業

 ●四月  山形県豊田小学校教諭 
        西置賜郡豊田村(現、長井市立豊田小学校)
        五年一組担任
        伊藤龍樹・戸田幸子たち、40名
 20歳 1949(昭24)  ●八月  山形県豊田小学校 退職

 ●九月  成城学園初等学校教諭
        東京都世田谷区祖師谷町
        五年菊組担任
        伊藤瞭介・築山公子たち、37名
 22歳 1951(昭26)  ●三月  六年菊組卒業

 ●四月  新一年菊組担任
        野上謙一・下田道子たち、38名
 25歳 1954(昭29)  ●三月  三年菊組をやって、この持ち上りをしりぞく

 ●四月  新一年楓組(一回目)担任
        加藤正廸・藤井博子たち、38名(六年間持ち上り)
 31歳 1960(昭35)  ●三月  六年楓組卒業

 ●四月  新一年楓組(二回目)担任
        田鹿好昭・村野井郁子たち、38名(六年間持ち上り)
 37歳 1966(昭41)  ●三月  六年楓組卒業

 ●四月  担任を離れ、「一年研究」の機会を受く(その頃、そういう制度があった)
      認識の三段階連関理論を深める
 38歳 1967(昭42)  ●三月  「一年研究」終了

 ●四月  新一年楓組(三回目)担任
       小池実・上村令たち、38名(六年間持ち上り)
 44歳 1973(昭48)  ●三月  六年楓組卒業

 ●四月  新一年楓組(四回目)担任
       一・二年、○○たち、38名
       三年になる前、三クラスの組がえ
       三・四年、富永学・松村まゆみたち、38名
       四年までで、担任終了(五・六年は及川徳弥氏担任)
 48歳 1977(昭52)  ●三月  成城学園初等学校 退職

 ●四月  大東文化大学助教授
        文学部教育学科
        担当科目、教育学原論・教育課程論・理科教材研究、ほか
        教授(昭57)
 70歳 1999(平11)  ●三月  大東文化大学 定年退職
        名誉教授(四月)
 79歳 2008(平20)  ●十月十九日 現在

 

 



(3)非常勤教員歴 A 教育論関係             2008.10.20~11.4記
 46歳 1975(昭50)  ●立教大学文学部教育学科(1975~1996) 
       ―理科教材研究と仮説実験授業(前代理科教育と近代理科教育)
 48歳 1977(昭52)  ●成城大学文芸学部(1977~1997)―社会教育概論
 ●成城大学短期大学(1977~1997)―教育学
 49歳 1978(昭53)  ●職業訓練大学校(1978~1981)―仮説実験授業
 50歳 1979(昭54)  ●東京都立大学大学院(1979~1981)―柳田国男と社会科教育
 52歳 1981(昭56)  ●お茶の水女子大学文教学部教育学特研(1981~1982)―常民の教育と近代教育
 54歳 1983(昭58)  ●東京大学教育学部教育学特研(1983~1984)―子ども論・仮説実験授業
 56歳 1985(昭60)  ●京都大学教育学部大学院教育学特研(1985)―柳田国男と教育
 70歳 1999(平11)  ●定年後に 大東文化大学文学部教育学科(1999~2001)―教育学原論・児童文化論

 

 

 





 

   

(4)非常勤教員歴  B 認識論関係               2008.10.20~11.6記
  ここでの認識論というのは「認識の三段階連関理論」を主とする認識論のことです。
 1981年3月以前のこと、および1984年8月以降のことは、いずれマトメアゲルということにします。
       [おぼえがき]
          「東京看教」は、1971~2008(続行中)
          「日本看教」は、1972~1991(終了)
          「厚生看教」は、1978~2001(終了)
          「神奈川看教」は、○~1999(終了)
          「千葉看教」は、1984~○(終了)
           ………………
           ………………
           ………………
 以下の四年間を整理してみて、思いました。1980年前後は、学問的な意気が燃え上がっていたなあ、ということを、です。あまり燃え過ぎて、脳梗塞でたおれてしまったのも、この時期でした。すなわち、1985年6月13日の正午ごろでした。しかし、三段階連関理論が形として調えられて、講義の体系ができたのも、この時期でした。つまりは、しっぺ返しを受けつつの歩みだったわけです。 
 52歳 1981(昭56)  ●四月  日本看護協会看護研修学校(教員養成課程)― 認識論 
             4・17~6・5(8回・24時間)
             以下、「日本看教」と略称する

 ●六月  東京都看護教員養成講習会 ― 認識論  
              6・12~7・10(5回・15時間)
             以下、「東京看教」と略称する 

 ●七月  神奈川県立看護教育大学校看護教育学科 ― 認識論 
             7・17~7・28(5回・15時間)
             以下、「神奈川看教」と略称する 

 ●十二月 厚生省看護研修研究センター ― 認識論
             看護婦養成所教員養成課程
             保健婦養成所教員養成課程
             上、合同で(ここの講義のテープあり、自宅に保存) 
             12・11~2・26(10回・30時間)
             以下、「厚生看教」と略称する
 53歳 1982(昭57)  ●四月  「日本看教」  4・23~6・18(8回・24時間)──認識論

 ●六月  「東京看教」  6・25~7・15(5回・15時間)──認識論

 ●七月  「神奈川看教」 7・16~9・6(5回・15時間)──認識論

 ●十二月 「厚生看教」  12・10~2・25(10回・30時間)─認識論
 54歳 1983(昭58)  ●二月  神奈川県立看護教育大学校保健学科 ─── 認識論 
              2・15(午前・午後)~2・16(午前)(3回・9時間)
              以下、「神奈川保健」と略称する 

 ●五月   「日本看教」  5・6~6・24(6回・18時間)── 認識論

 ●七月   「神奈川看教」 7・12(午前・午後)7・19(午前・午後)~7・26(午前)
                          5回・15時間)── 認識論

       国立公衆衛生院衛生看護学部専攻課程(看護コース)
                 7・21~9・8(2回・6時間) ── 認識論
                 以下、「国立公衆衛生院看教」と略称する 

 ●九月   「東京看教」  9・30~10・28(5回・15時間)── 認識論

 ●十二月 「厚生看教」 12・9~2・24(10回・30時間) ── 認識論
        看護教員養成課程(看護婦・保健婦・助産婦、合同講義)
 55歳 1984(昭59)  ●二月   「神奈川保健」 2・14(午前・午後)?2・16(午前)(3回・9時間)― 認識論

 ●三月  静岡県立厚生保育専門学校保健学科 ― 科学的思考
                 3・5(午前・午後)~3・6(午前)(3回・10時間)
                 5日夜、先生方6人による勉強会(テーマ、弁証法について)

        「国立公衆衛生院看教」 3・9 (1回・7時間)  ──―  弁証法の論理
                  
 ●五月   「日本看教」  5・25~6・15(5回・15時間) ―──  認識論

 ●六月   厚生省看護研修研究センター「幹部」看護教員養成課程──認識論
                 6・2~6・30 (5回・15時間)  

 ●七月  福島県立総合衛生学院保健学科  ──―  認識論
                  7・6~7・7(3回・8時間〈午前・午後・午前〉)

        「神奈川看教」7・11~7・25(5回・9時間)― 認識論
             
       自衛隊中央病院高等看護学院第三学年生 ―─ ものの見方考え方(認識の話)
                        
       千葉県衛生部医務課看護教員養成講習会 ── 認識論
                 7・26~8・6(10回・30時間)
       以下、「千葉看教」と略称する    
                           ── このあとは、またの機会に。
思い出②   omoide2.pdf へのリンク

                       






(5) 著作歴  2008.11.16 記 2008.12.26 訂補  ○印及び太字は単著
 22歳 1951(昭26)  ●十月 成城学園成城初等学校/日本民俗学研究所賛助
       『社会科単元と内容 昭和二四~二六年度試案 (柳田社会科) 共著 成城初刊
 25歳 1954(昭29)  ●一月 柳田国男「日本の社会」二~六年(一年は四月刊)
       『学習指導の手引き』 共著 実業の日本社(柳田社会科の教科書への手引き書、私はこれのみに参加)
 26歳 1955(昭30)  ●三月  『教育と反省―一年生の教育記録』 共著 成城学園初等学校

 ●五月 ○『一年生という子ども―教育と研究 成城学園初等学校

 ●九月  『成城学園小学校の文献目録―附・学校史年表 (大正六~昭和三〇) 編著 成城学園初等学校

       『理科学習指導法』(自学理科の実践的体系) 共著 成城学園初等学校 
 27歳 1956(昭31)  ●十月  『ちからのつく理科・一年生』(児童書)共著  国土社

 ●十一月 『ちからのつく理科・二年生』(児童書)共著  国土社
 28歳 1957(昭32)  ●五月 ○『おまつり十二ヵ月』(児童書) 青葉書房
 29歳 1958(昭33)  ●三月 ○『単元「移住」感想・質問集(柳田社会科の一記録) 成城学園初等科五年楓組
 31歳 1960(昭35)  ●六月  『ぼくらの社会科しらべ方事典』(柳田社会科の単元を踏まえた児童書) 共著 岩﨑書店
 33歳 1962(昭37)  ●六月 ○『小四・理科事典』 小学館(小学四年生六月号・第41巻第3号・付録)
 34歳 1963(昭38)  ●五月 ○『小四・なぜなに理科事典』 小学館(小学四年生五月号・第42巻第2号・付録)
 35歳 1964(昭39)  ●三月 ○ 仮説実験授業の記録①『振り子と振動』(『科学教育研究・別冊』①[初期]仮説実験授業研究会)
 36歳 1965(昭40)  ●八月 ○『仮説実験授業』 国土社

       ○『かっぱはほんとにいますか』(児童書)ポプラ社

      ○『ありはけんかをしますか』(児童書)ポプラ社

        『ふくろうのめはなぜよるみえる』(児童書)共著 ポプラ社

        『うみのみずはなぜうきやすい』(児童書)共著 ポプラ社

 ●十月 ○『理科の授業改造―小学生の自然観と予想授業』 明治図書
 38歳 1967(昭42)  ●十月  『科学的思考力の評価』 共著 明治図書

       『指導案の生かし方』 共著 明治図書
 39歳 1968(昭43)  ●三月  『仮説実験授業の教育内容―成城小学校の科学教育 共著 成城学園初等学校

 ●四月 ○『仮説実験授業の論理構造』 仮説実験授業研究会

 ●七月  『理科教育の創造―仮説実験授業を中心として 共著 国土社

        『昆虫の生態図鑑』(児童書) 共著 小学館
 40歳 1969(昭44))  ●六月  『成城学園小学校の文献目録―附・学校史年表』 (昭和三〇~四〇)編著 成城学園初等学校

 ●七月  『成城学園初等学校におけるカリキュラム実験研究史大略』 編著 成城学園初等学校 
 41歳 1970(昭45)  ●一月  『成城教育用語集』 編著 成城学園初等学校

 ●七月  『学習手引き書の研究』 編著 成城学園初等学校

        『自学々習への子どもの評価―付・成城自学成立史大略』 編著 成城学園初等学校

      ○『コトワザの論理と認識理論―言語教育と科学教育の基礎構築 成城学園初等学校

 ●十月  『子どもの科学観の進展と授業』 共著 成城学園初等学校
 42歳 1971(昭46)  ●一月  『いろいろな生物と進化―授業案内書Ⅰ 共著 成城学園初等学校

 ●七月 ○『主体的科学観の形成』 成城学園初等学校
 43歳 1972(昭47)  ●七月 ○『仮説実験授業と支配理論』 成城学園初等学校

        『成城「研究部報」集成』(No.1~400) 編著 成城学園初等学校

 ●九月 ○『柳田学と教育―柳田教育学序説』 成城学園初等学校
 44歳 1973(昭48)  ●五月 ○『日本人の思考と論理・覚書』 (日本看護協会・講義概要)私家版

 ●六月 ○『コトワザ学と柳田学―大衆の論理と民間教育法 成城学園初等学校出版部

 ●七月 ○『のぼりおり認識理論・覚書―その原理と展開 (日本看護協会・講義概要)私家版

 ●八月 ○『うそから出たまこと』 国土社
 45歳 1974(昭49)  ●三月 ○『三段階連関理論―認識発展の論理』 成城学園初等学校出版部

 ●八月 ○『沢柳政太郎と成城教育』 成城学園沢柳研究会
 46歳 1975(昭50)  ●七月 ○『仮説実験授業の教育記録 成城学園初等学校出版部

 ●八月 ○『柳田国男の教育的研究―その児童観と教育観・実践的構想 成城学園初等学校出版部

 ●九月 ○『感性的論理学』 成城学園初等学校出版部
 47歳 1976(昭51)  ●二月 ○『柳田社会科の教育記録』 私家版

 ●七月 ○『仮説実験授業と認識の理論―三段階連関理論の創造』 季節社

 ●十一月 『経験科の教育実験』 共著 成城学園初等学校出版部
 48歳 1977(昭52)  ●六月 ○『印象教育』(第一部) 大東文化大学教育学科第28研究室

      ○『印象教育』(第二部) 大東文化大学教育学科第28研究室
 49歳 1978(昭53)  ●一月 ○『科学的思考とは何か』 明治図書

 ●四月 ○『柳田国男と教育―民間教育学序説 評論社
 50歳 1979(昭54)  ●二月 ○『全面教育学の構想』 大東文化大学教育学科第14研究室

       ○『全面教育学要説』(第一分冊) 大東文化大学教育学科第14研究室

 ●九月 ○『柳田民俗学の子ども観』 明治図書
 52歳 1981(昭56)  ●七月   『授業術入門──より楽しく、より気楽に仮説実験授業をしたい人たちのために
                                            西尾仮説サークル(同・犬塚清和編)
 54歳 1983(昭58)  ●十一月 『仮説実験授業にめぐりあった人へ 庄司和晃論文集』
                                           小松楽しい授業研究会(同・坂 明編) 
 56歳 1985(昭60)  ●四月 ○『うそから出たまこと』 能開総合教育センター 能開文庫版(発行 国土社)

 ●七月 ○『認識の三段階連関理論』 季節社
 57歳 1986(昭61)  ●八月 ○『科学ばっかり主義の克服―未来の教育学のための人間研究明治図書
 58歳 1987(昭62)  ●三月 ○『コトワザ教育のすすめ―未来の教育学のための文化研究 明治図書

 ●六月  『現代国語教育論 柳田国男』 (編集・解説)明治図書
 59歳 1988(昭63)  ●三月 ○『庄司和晃著作集』 全五巻  明治図書

        第一巻 全面教育学の構想

        第二巻 柳田国男と科学教育

        第三巻 総合教育という教育実験

        第四巻 仮説実験授業の論理

        第五巻 教育者としての青春
 60歳 1989(平1)  ●三月  『仮説実験授業の誕生』 (一九六三~六四論文集)共著 仮説社

 ●四月 ○『増補版 認識の三段階連関理論』 季節社
 61歳 1990(平2)  ●十月   監修『柳田国男 児童読み物集』全三巻 海鳴社
         第一巻 村と学童  (解説・植垣一彦)
 62歳 1991(平3)  ●六月   第二巻 火の昔   (解説・小田富英)
 63歳 1992(平4)  ●二月   第三巻 少年と国語 (解説・尾崎光弘)
               [以上の三巻には、注・テーマ索引・動物と植物名索引がつく。]
 65歳 1994(平6)  ●五月  ○『コトワザ教育と教育の知恵―続・コトワザ教育のすすめ 明治図書

 ●十一月○『全面教育学入門―渡世法体得という教育本質観 明治図書
 68歳 1997(平9)  ●八月  ○『人はなぜオカルトに魅かれるのか―教育は宗教とどうつきあうか 明治図書
 69歳 1998(平10)  ●四月  ○『復刻版 仮説実験授業の論理構造』 大阪府大東市・伊藤佳子発行
 70歳 1999(平11)  ●十一月 監修『子どもことわざ辞典』講談社(植垣一彦・野手美和子著)
 71歳 2000(平12)  ●五月 ○『増補版 仮説実験授業と認識の理論―三段階連関理論の創造 季節社
 72歳 2001(平13)  ●四月   監修『こどもことわざ新聞』別冊家庭画報 世界文化社(植垣一彦執筆主幹)
 74歳 2003(平15)   ●八月 ○『復刻版 仮説実験授業』 仮説社(仮説実験授業提唱40周年記念復刊  仮説社創立30周年記念出版)

                      ●「論文歴」の方は、次回にまとめてみることにします。


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